9月16日、沖縄辺野古基地問題の裁判で高裁が判決を出しました。

 

沖縄の米海兵隊普天間基地(宜野湾市)に代わる名護市辺野古の新基地建設問題で、翁長雄志知事が辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しの撤回に従わないのは違法だとして国が訴えた「違法確認訴訟」で、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)は、国側の主張を全面的に追認する極めて不当な判決を下しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-09-18/2016091802_01_1.html

 

翁長沖縄県知事は、高裁判決を受けて発表したコメントで

・・・今日までの歴史的な状況を含めて、何故、沖縄県だけが他の都道府県と異なる形で物事が処理されるのか、一地方自治体の自由・平等・人権・民主主義・民意が、一顧だにされないということが、今日、他の都道府県であり得るのか、大変疑問に思います・・・と述べていますが、この言葉が胸を刺します。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-09-17/2016091704_03_1.html

 

 

8月に沖縄に行き、基地建設に反対している「島ぐるみ」運動の方に、辺野古と高江に案内していただきました。その行きの車中で、7月に行われた不破さんの沖縄での演説会のDVDを見ることができ、また、前日には沖縄の瀬長亀次郎氏の不屈の活動を紹介する不屈館(那覇市)に行ったこともあり、沖縄の歴史について改めて考えさせられました。

 

不屈館のカメジロー人形

 

瀬長亀次郎さんの紹介(しんぶん赤旗8・30「きょうの潮流」より)

・・・1947年、沖縄人民党を結成。52年、今の県議会にあたる第1回立法院議員総選挙でトップ当選。その後の琉球政府創立式典でただ一人、忠誠を誓わなかったことから占領軍ににらまれます。54年、瀬長さんが先頭に立ち、立法院は米軍から土地を守る4原則を打ち出します。半年後、突然逮捕。瀬長さんは裁判でこう述べます。「被告人瀬長の口を封ずることはできるかもしれないが、虐げられた幾万大衆の口を封ずることはできない。…日本の独立と平和をかちとるために捧(ささ)げた瀬長の生命は大衆の中に生きている」▼出獄後、56年に那覇市長に当選。しかし補助金凍結で兵糧攻めに。助けたのは市民でした。「アメリカーが瀬長市長いじめるから税金納めに来たサー」。納税率は最高97%に・・・

 

コラム「潮流」は▼「瀬長さんが何より大事にしたのは「沖縄の団結」でした。それから半世紀がたち、新基地建設反対の民意に敵意をむきだしにする政府と、対峙(たいじ)する現代のリーダー。オール沖縄の原点が見えてきます。」とまとめています。

 

福岡高裁の不当な判決が出されたことについて、沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄の人々と連帯して、国民を踏みつけにする安倍政権の横暴を許さない運動を広げたいという思いを新たにしました。