本会議での【一般質問の報告4】

教育問題について


質問全文を紹介します。教育長答弁は次回に。



本会議



・・・・小栗智恵子 一般質問 2/27・・・・


3.教育問題について

次に教育問題について質問します。

安倍晋三首相は、第一次内閣時代の2006年に、国民的な反対の声を押し切って教育基本法を改悪し、それに続いて「教育再生会議」をつくり、学校教育3法の改悪、教員免許更新制度の導入、全国一斉学力テストなどを強行しました。その直後に政権を投げ出し、2012年末に再び首相につくと「改正教育基本法の理念が実現したとはいえない」といって今度は「教育再生実行会議」をつくり、「教育改革」の再起動に執念をもやしています。

第1に、教育委員会制度の改悪です。安倍政権は、今国会に教育委員会「改革」法案を提出し、教育委員会を首長の諮問機関に変え、首長の権限を強化して、政治介入できる制度にしようとしています。

その主な内容は、教育政策の基本も、教育条件も、教員人事の方針も、すべて首長側に決定権をうつすこと、教育の仕事を実際にすすめる教育長を首長が直接任命、罷免できるようにすること、文部科学大臣の権限を強化し、教育委員会に「是正指示」が出せるようにするというものです。

大津市のいじめによる自殺事件などで、各地の教育委員会が「いじめはなかった」などと事実を隠蔽しようとする態度をとったことに対して国民の強い批判の声がありますが、安倍政権は、これを利用して「責任の所在が曖昧」「形骸化している」などとして、首長に権限を集中させる案を出しています。

しかし、教育委員会の形骸化がすすんだのには理由があります。

日本の教育は、戦前の軍国主義教育のもと、侵略戦争でアジアと日本の多くの命を犠牲にした深い反省にたち、戦後、憲法にそって教育の自主性を守り、権力的支配を防ぐために教育委員会制度がつくられました。当初は公選制で、教育予算や教育条例の原案作成や送付権を持っていました。しかし、その後任命制となり、権限も縮小され、「形骸化」「隠蔽体質」などといわれるような状況も生まれています。

そこで質問します。

教育委員会制度を変えて、区長に権限を集中させることは、国や行政権力から独立し、国民に直接責任を負って教育を行うという、教育委員会の役割を否定するものだと考えますが、いかがですか。

教育委員会の改革というのであれば、責任と権限を持ち、子どもの権利を最優先に考え、子ども・保護者・教職員・住民の意見にも耳を傾け、最善の教育を判断して教育行政をきちんとコントロールしていける組織にすることが大事だと考えますが、いかがですか。

それぞれについて、教育長の見解をお聞かせください。

第2に、安倍政権は、教科書検定基準を改定し、「政府の統一的見解や最高裁判判例が存在する場合はそれに基づいた記述を求める」「重大な欠陥があれば不合格にする」などとしています。政府の考えにそった教科書を作らせる事実上の「検閲」になる危険が強まっています。

そこで質問します。

政府の考えに合わせて教科書検定基準を変えるのは問題だと考えますがいかがですか。見解をお示しください。

第3に、安倍首相は施政方針演説で「道徳を特別な教科と位置づける」と表明しています。市民道徳の教育は大切ですが、教科書や評価によって国が「こうあるべき」という価値観を子どもに注入することは、主体性に基づく教育の根本原理にも背くものです。戦前の道徳教育は「修身」とよばれ、「教育勅語」で「天皇のために命を捧げる」軍国主義教育の中心となっていました。戦後、その痛切な反省から、道徳教育は教育活動全体を通じて行うこととされました。ところが、すでに学習指導要領で道徳の内容を文科省が規定しており、これからはさらに「教科」にすることによって、特定の価値観を押し付ける体制を確立しようとしています。

そこで質問します。

道徳の内容と指導方法を国の規制で強め、政府の考える「愛国心」を子どもたちに徹底させようとする道徳の教科化は中止すべきと考えますが、見解をお聞かせください。

第4に、全国学力テストは、安倍第1次内閣の時に本格的に開始され、民主党政権下で抽出調査となりましたが、昨年から全員調査に戻りました。そして、これまで文科省自身が「序列化や過度の競争」につながることから「個々の学校名を明らかにした結果公表」を禁止してきたのに、これからは公表を可能にするとしています。テストの点数で学校を序列化し、いっそう競争をあおることになります。

そこで質問します。

点数競争によって教育を歪める全国学力テストへの不参加を決断すること、学校ごとの正答率などの公表は行わないことを求めます。お答えください。

これまで述べてきた安倍政権の教育委員会の「改革」、道徳の教科化などを通じて、安倍政権がどういう「教育再生」をめざしているのか、その目的はどういうものなのかが明らかになっています。

それは、「戦争する国」づくりのための教育、アメリカと一緒に「戦争する国」を支える人材づくりのための愛国心や規範意識を教え込むことです。さらに、飛び級などを認め、早いうちから「エリート」を選び出し、「大学改革」で産業界との連携を強めるなど、財界の要請に添って、国際競争力強化に貢献できる「グローバルな人材」づくりをすすめることです。

本来教育は、一人ひとりが人間として大切にされ、子どもの最善の利益が守られる教育をすすめて、だれもが人間らしい発達を目指し、能力を精一杯伸ばして、「人格の完成」をめざしていくものではないでしょうか。政府や財界の要請にそった「人材づくり」が教育の目的となってはならないと考えます。教育長のお考えをお聞かせください。

最後に、中央区の「国際教育」について質問します。新年度予算で教育の分野では、「オリンピックの機会を生かし、人権尊重・国際協調・社会貢献など、グローバルな視野を培うため「国際教育」をパイロット校ですすめるとしています。真実を見出す力、本当に国際的な力をつけるのは大事なことです。しかし、その内容が問題です。

国際教育は、単に英語ができればいいというものでもありません。日本の歴史や社会の現実をしっかり捉え、自分の頭で考え、違う立場の人とも共感できる、そういう力を培うことが「国際教育」にもとめられているのではないでしょうか。

そこでお聞きします。中央区の「国際教育」は、どんな内容を考えているのかお示しください。


 以上で、第1回目の質問を終わります。ご静聴ありがとうございます。

・・・答弁は後日掲載します。