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26歳のホワイトデーにTから告白されて付き合う様になった私達。
入社後の研修中に2人だけ選ばれて、先に花形の部署での業務についていたTとしては、それに選ばれなかった人たちがしている仕事を自分ができない、という理由でグループ会社に移動になった事をプライドが許せなかったんだと思います。
そして夜勤もあるし、本当に誰でもできる仕事だったので
冗談じゃない
と思ったんだろうなと思いましたが、私としても
この移動は酷いな
と思ったので付き合い始めてすぐ
「実は今月で会社を辞める」
と聞いてかなり驚きましたが、納得はしてしまいました。しかし
もう辞めることが決まっていたなら、告白する前に言ってよ
何だかずるいな
とは思いました
お金も仕事も失い実家へ戻ったTは大きな水槽は倉庫へしまい、小さな1つ水槽だけは玄関に置くことを許してもらったそうです。
私は知りませんでしたし皆さんご存じないと思いますが、いらなくなった熱帯魚は熱帯魚店へ持って行くと無料で引き取ってくれるそうです
お店としてはタダで引き取ってまた売ることが出来るので一石二鳥です。
しかしこれも、本当に
飼いたい
という欲望のままに高いお金を出して熱帯魚を買って、ダメになったら手放せばいいという全く計画性のない、そして情も何もない恐ろしい人間だよね…と後からは思います
熱帯魚が犬や猫みたいになつく、ということは実際は無いので、手放すことに対してそこもまでの感情は起こらないのかもしれませんが、やはりちょっと冷たい印象は受けました。
そしてそれからは平日の夜、お互いの家で過ごす様になりました。
初めてTの実家に行ったとき、実家を見てそのあまりのボロさに
これはまずいかも
と初めて思いました
ボロボロの車を見ても、少し引きはしたもののそこまで思いませんでした。
流石に実家を見た時、失礼ですがやはりお互いの家の経済力の格差を目の当たりにした気がしました
読んでいてい気分を悪くした方がいたら申し訳ありません
しかしただ「付き合う」だけならいいですけど、やはり「結婚」となると、その辺りも重要になってくると思います
私の父親は会社を経営者していました。夫婦だけでやってるとはいえそれなりの利益を上げていましたし、家も広く、敷地内にアパートや借家も建てているので、土地も広いです。
そして当時父も私も外車に乗っていました
私の父親は私が中学に入ったころ独立したので、それまでは決して裕福では無かったし、独立後も父がドケチだったので
家はお金持ちだ
という自覚は全くありませんでしただからブランド品を身に着けて出社する、という様なことは一切ありませんでしたし、見るからにお金持ちみたいなことは一切なく、全く普通でした。それでも親が会社経営をしていることは皆知っていたので、よく会社で
「お嬢様」
と言われていました。
そして自分の親が会社を経営している人は世間的にはやはり少数だな、と会社に入って改めて思った出来事がありました。
会社で私は
「社長令嬢」
とあだ名をつけられたことがあったんです
続く
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