一人称の死は存在しない | 研のゲイ術的生活

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非婚ガー、孤独死ガーとうるさい。

しかし、父も母も病院で死んだ。これは孤独死と言わないだろう。

死に目にあうも何も、数週間意識がないから意味がない。

タクシーで駆けつけたときは、死んでいた。

死に目に会えなかったなんて思わない。

心電図の波形が変わっただけのことだ。

誰かと2人で同時に死ねるはずがないのである。

懸念は病院でなく、自室で1人死ぬことなのだろうか。

しかし、死んでしまえば、後は野となれ、だろう。

もはや意識がないから、どうでもいい。

養老孟司先生の言うとおり。一人称の死はない。死んだ時はもう自分はいないから。

しかし、いちおう、どうにか、マンションの廊下までは這って出たいと思う。そうすれば事故物件にならずにすむ。

しかし、事故物件になっても、死んだ人にはわからない。

ゲイの場合、ほぼ家族も後継もいない。もはやどうでもよいだろう。