ウィリアム・エンプソンという批評家。
『曖昧の7つの型』で知られる。
外山滋比古など、影響を受けるのが怖くて途中で本を閉じた、というぐらいのものだ。
説明できない美は私をいらだたせる、と言ったという。
これは私の大嫌いな池上嘉彦が引用していた言葉だ。
キモチワルイ学者なのに、けっこう影響力もあり、読まれているから腹立たしい。
離婚歴があり、最初の妻のいる研究会に参加していた。妻も超ろくでもない人間で嫌われ者だった。
ということで、エンプソンも嫌いになった(何も読んでないが)。
数学科をまず出たというからリクツだけの人間だ。
芸術がリクツのはずがない。
アートは心で感じ取るもので、分析する必要はない。
それどころか、本来、分析、説明すべきでない。
池上嘉彦は詩をリクツで説明しようとしていたようだが、詩は作れまい。
永久に傍観者のままだ。
詩を解説したいなら、詩を作れ、といいたい。
エロビを解説するしたいなら、まずエロビを作れ、だ。
最近は OnlyFans で素人がほんとうに作りはじめているから、とても良いことだ。
能動的でなくては人生の意味がない。
美輪明宏先生のいうとおり、評論家なんて要らないのよ、というのが正解だろう。
いいねー、で終わり。
どこが、どういいか、なんてことは知る必要がない。
説明、リクツは不要である。
食事も、美味しい、で終わり。頭で食べていてはダメだ。
グダグダと、どこがどうで、と説明するのは品がない。
日本に気品があった時代、良家では、食べ物について語ることは下品の極みとされていた。
日本人も、いろいろ要らない説明を聞かされてつかれているのではないか。
われわれの遺伝子にリクツは流れていないはず。
優れて感性的な民族のはずである。







