マリモ集団消失す ③ なぜ重要なのか? |   マリモ博士の研究日記

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      - Research Notes of Dr. MARIMO -
  釧路国際ウェットランドセンターを拠点に、特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」と周辺湖沼の調査研究に取り組んでいます

 前回、チュウルイ湾の東側に分布するビロード状大型マリモの保護を目指す事業に取り組みながら、集団が消失している現状を述べた。西側や沖合にもマリモは分布しているのに、なぜこの集団が重要視されるのか。もちろん「阿寒湖を代表する大きくて美しいマリモの群れ」であるからだが、もう一つ、「チュウルイ湾におけるマリモ集団の維持・再生の中心」でもあるからだ。

 

 本連載で何度も述べてきたように、チュウルイ湾のマリモ集団は直径が15㌢を超え、20㌢級が増えてくるようになると、強い南風によってもたらされる湖水流動によって湖岸に一斉に運ばれる。そして、波浪によって壊され、生じた破損断片が再生・生長することで集団が維持されている。

 

 この湖水流動については、2002年10月に大量打ち上げが発生した際に観測された風のデータから、流向・流速がシミュレートされており、湾の東部と西部では湖岸に沿って湾の奧に向かう流れを、中央部ではこれらが合流して沖に戻る流れを生じることが明らかになっている。

 

 マリモの実際の分布は、おおむねこの流れの向きと整合しており、打ち上げの発生時、集団の東側は湖岸に向けて移動し、片や、西側では沖に向けて移動するため、分布状況は東側では浅瀬にコンパクトにまとまり、西側では全体的に東側より水深の大きな側に偏っている。西側ではさらに、深部が沖に向かって舌状に伸び、その先に浮遊糸状体の集団が広がっている。

 

 挿絵は、水草が繁茂する以前の状況を示している。現在は浮遊糸状体の分布域が水草に置き換わり、水草の影響によって舌状部が南西方向を向いているものの、流動発生の機序は基本的に同じである。

 

2002年10月のマリモ打ち上げ発生時における湖水の流動方向と流速.マリモの分布は1997年に記録されたもので,1995年の大量打ち上げから2年後に相当する.星印で示した標識ブイの近辺にビロード状大型マリモが分布する.山本省吾ら「阿寒湖チュウルイ湾におけるマリモの湖岸打ち寄せ・打ち上げ機構に関する考察」土木学会海岸工学論文集2003年刊にもとづき作成.

 

 上述したように、打ち上げの発生時、集団の東側では大きなマリモは湖岸に運ばれ、砕けた波にもまれて破損するが、西側では湖水流動が解放される沖に向かうため破損を免れる。その際、大きなマリモでは直径が大きくなるほど内部の空洞も大きくなって比重が小さくなるため、より弱い流れでも動かされやすくなる。それゆえ、打ち上げが発生した直後であれば、水深が大きくなるのにつれて、マリモの最大直径は大きくなるパターンを示す。これが、西側の深所で大きなマリモが見られる理由である。

 

 しかし、水深が大きくなると、日常発生する波動ではマリモを回転させることができなくなるため、球状マリモはやがて緩集合化し、崩壊する。この破損断片を構成する糸状体が徒長すると、さらに緩やかな集合となって沖へと移動し、最終的に浮遊状態の糸状体となる。つまり、西側深所の球状マリモは集団の再生に寄与しない。この水域で大きなマリモが見られるからと言って、今回消失した東側の大型マリモ集団の代替にはならないのだ。

 

 これらのことから、集団のつくり、および挙動からチュウルイ湾のマリモは大きく東西の二つに分けられ、球状マリモ集団の維持・再生にとって重要なのは、東側のビロード状大型マリモの集団であると分かるであろう。だからこそ、積極的に保護する必要があり、実際に2014年から2020年まで対策事業が行われたのである。

 

つづく


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   【釧路新聞文化欄・日本マリモ紀行#597,2023年1月30日】