<The Marimo in the National Taiwan Museum>
【釧路新聞文化欄・日本マリモ紀行#489,2019年5月13日】
5月7日から10日まで、台北に出張してきた。目的は国立台湾博物館で展示されているマリモの栽培・管理技術の指導である。
「台湾でマリモ?」と訝るむきも少なくなかろうが、実は確たる縁がある。1897年、札幌農学校の学生であった川上瀧彌が阿寒湖でマリモを発見し、翌年、「毬藻」と命名したのはよく知られているが、卒業後、彼は台湾に渡り、総督府の技師として島内の植物相や有用植物の調査研究をはじめ、様々な業務に従事した。その一つが現在の国立台湾博物館の建設で、初代館長も務めている。しかし1915年、病に倒れ、44歳の若さで急逝した。
国立台湾博物館(2019年5月8日).
それから100年。博物館では川上の業績を再評価すべく資料の調査・収集にあたる一方、得られた成果を基に、博物館開設当時に活躍した先駆者たちの業績を紹介するための常設展示を2017年から始めるべく準備を進めていた。
国立台湾博物館の3階にある川上瀧彌コーナー(許毓純 研究員と).
不思議なもので、同じころ、私も川上に関する資料を集めていて、博物館の取り組みを知るところとなった。そこで、マリモの発見命名から120年になるのを記念して、2017年10月に阿寒湖で国際シンポジウムを開き、博物館の許毓純 研究員を招いて台湾の調査成果を紹介していただくとともに、台湾在住作家の片倉佳史氏に博物館建設当時の時代背景を語っていただいた。また、釧路市立博物館の加藤ゆき恵 学芸員には、北海道時代の川上の業績を発掘・発表していただいた。
それに続き、台湾での事業として、同年12月から博物館で特別展「川上瀧彌と阿寒の自然」が釧路市等との共催で開催され、以降、マリモの展示が始まったのである。
国立台湾博物館で展示されているマリモ(研究室で).
しかし、マリモの栽培は容易でない。まして、藻類の栽培経験のあるスタッフが博物館にいようはずもなく、半年ほど経つと「マリモに傷みが出始めた」という情報がもたらされるようになった。さらに半年経った昨年秋には、「生かしたまま展示を続けるのは難しそうだから、水槽から出して乾燥標本にしてしまおうか」という話まで出る始末・・・。
生きたマリモがあるうちは、博物館と阿寒湖のつながりが途絶えることはない。「ノウハウを教えるから、しっかりと栽培できるようにしてはどうか」と伝えたところ、4月に入って「予算が付いたから、すぐ来て欲しい」との依頼が入った。こうして、今回の現地指導と相成ったわけである。
植物実験室で.
1年半ぶりに再会したマリモは、想像していたほどひどくはないにしろ、表面に藍藻やカビが生え、藻体も黄緑色を呈して正常な状態とは言いがたい。マリモ栽培の実務を担当する植物究部門のスタッフ3名を相手に、博物館施設内の実験室で顕微鏡を見ながら状況を説明し、どうやって回復させるか付着生物の除去方法などを実演した。また、展示部門のスタッフも交えて、栽培・管理の基礎となるマリモの生長メカニズムや光・水温・栄養塩といった環境要因の調節方法について、事前に作成したマニュアルを配って解説した。
これでとりあえず、この先3年は何とか展示を続けられそうだ。できれば、さらに5年、10年と延ばし、マリモが国立台湾博物館を代表する展示物、そして釧路と台湾の交流大使となるのを期待したいと思う。