⑬ 口語調と削除で昔話風に改変 |   マリモ博士の研究日記

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      - Research Notes of Dr. MARIMO -
  釧路国際ウェットランドセンターを拠点に、特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」と周辺湖沼の調査研究に取り組んでいます

 ここまで何度か述べてきたように、1922年に永田耕作の「阿寒颪に悲しき蘆笛」(以下、永田版)が発表された2年後、同作品を引用・転載した青木純二の「悲しき蘆笛」が、「アイヌの伝説と其情話」に収録される形で発刊された。そして、この2年後、まったく同じ内容の「アイヌの伝説」が再版されている(以下、青木版と総称)。

 

 「引用・転載」とは言うものの、連載①で「若干の違いがある」とか、連載⑩で「ほぼそっくり」と表したように、青木版は永田版の丸写しでない。一部、加筆・改変されているのである。しかし、その対象は、後に頻繁にストーリーが変えられることになるエンディングのマリモの登場場面ではない。そこは手つかずのままなのだ。どこが、どのように変えられたのか、具体的に見てみよう。

 

 まず目につくのは、会話が文語調から口語調に変わっている点だ。例えば永田版の177ページで、マニベが「そは真実か」と尋ねる部分は、青木版の110ページで「それは真実ですか」と書き換えられている。

 

 もう一つの主要な改変のパターンは、記述の削除である。例えば、前回、挿絵として掲載した永田版の冒頭で、出だしには「東北海道の唯一の不凍港,釧路の北方に、茫漠たる釧路平原を瞰下して、夏でも雪を頂いている夫婦山がある」とある。それが青木版では、「東北海道の唯一の不凍港」が削除されている。

 

現在の釧路港.明治時代に港湾として整備される以前は,「クスリ泊」とよばれた.

正面の二つの峰が「夫婦山」と表された雄阿寒岳(右)と雌阿寒岳(左).

 

 

 さらに2行後、永田版で「『そうよ、今から五百年も前の昔の事だ』。枯枝をさしくべて老アイヌは鬚の中から、光のにぶい眼を輝かして語り出した」という語り部が登場する部分も、青木版ではすっぽり抜け落ちている。

 

 同じような操作は後半でも見られ、メカニとメニベが争いになる様子を、永田版では「五分、十分、激しい争闘は続いた」と記しているのに、青木版では「五分、十分」が消えている。これらは、何を意味するのだろう。

 

青木純二の「アイヌの伝説と其情話」(1924年,富貴堂書房刊行)に掲載されている「悲しき蘆笛」の冒頭部分.

永田耕作の原作にあった「東北海道の唯一の不凍港」などの記述が削除されている.

 

 

 「東北海道の唯一の不凍港」と言うからには、港が存在しなくてはならない。釧路港が整備されたのは1899年だから、舞台は遠い昔の話でなくなってしまう。500年前のできごとを分単位で表しているのも同じだ(ちなみに、1日を24時間とする西洋式の時法がわが国に導入されたのは1873年だ)。また、もし本当に語り部が存在するなら、物語が書かれる前に語られ、そして筆者が聞き取っていなくてはならない。

 

 連載②で紹介したように、永田は釧路在住中に、春採(はるとり)のアイヌの古老と親しくなり、そこで聞いたアイヌの男女の心中話をモチーフにして「阿寒颪に悲しき蘆笛」を書いた。釧路港も「五百年も前の昔の事だ」と語る老アイヌも、この時の実体験が下敷きになっていると見てよいだろう。おそらくそれが影響して、永田版では物語が語られる時間の基点が「現在」となり、過去を思い起こすスタイルが採られたと考えられる。

 

 では、なぜ青木は、上述した箇所を削除したのだろうか。理由は、上の説明の裏返しで、物語が語られる時間が「現在」であると分からなくするためだ。そうすれば、あたかもアイヌの昔話であるかのように見せられる。

 

つづく

 

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【釧路新聞文化欄・日本マリモ紀行#474,2018年10月29日】