石井さんのこと | サブランドへの航海図

つぼ八の創業者、そしてひもの屋の創業者石井さんが亡くなりました。

 

ここに書こうかどうか悩んでいて時間が経ってしまいましたが、やはり書こうと思い、パソコンを開いています。

 

ひもの屋を引き継がせてもらい6年が経ちました。

 

当時石井さんの会社は「ひもの屋」というブランドを主軸に東京近郊に70店舗以上の店舗網を敷いていましたが、ご高齢という事もあり引退しようと考えていたのです。石井さんと会って、「会社を譲ってください!」と言うと、「いいよ。店の状況見たら良いかどうかわかるでしょ?金額はこれくらいね。」と言われました。こっちとしてみたら数字も見ずに判断出来ません。しかし、根気強く会い続け、ようやく数字を見せてもらえることになりました。一度あることが理由でどうしてもキャッシュが足りないということになり石井さんに断りの連絡を入れました。

 

しかし、2012年12月24日に石井さんから連絡があり、一度会ってほしいということで焼肉屋に呼ばれ二人でクリスマスイブを過ごしました(笑)。

 

その焼肉屋で一通り食べ終わったあと、石井さんがおもむろに「なあ、やっぱ俺の会社買ってくれねえか?君なら俺の会社を引き継いで、より良い会社を作ってくれると思っているよ。俺の意志を引き継いで会社を伸ばしていってくれ。条件は緩和する。買ったあとは花光くんの好きにしていいから。」

晴天の霹靂とはまさにこのことで、僕はてっきり破談になったので最後に僕と一緒に食事をしてくれたのかなと思いました。しかし、実際はまったくの逆でした。

石井さんはそのあとこう続けました。「俺は最初に会ったとき花光くんが31歳と聞いて、何か運命めいたものを感じたよ。俺がつぼ八を創業したのが31歳。花光くんはいま31歳で150店舗もの飲食店を展開している。時代の節目にはこういうことが起こるんだ。俺は運命ってやつは必然の歯車で回っていると思う。だからこれは必然だと思うんだ。」

僕はいったんは成立させるのが難しいと思い、この案件を流していました。しかも以前の条件に比べ十分手の届く条件になっている。「年明け早々に返事をします。」そう言ってその場を後にしました。

次に会う予定は2013年1月3日。そこまでにやるかやらないかを決めなければならない。

それから一日中考え続け、覚悟が決まりました。

1月3日、石井さんに意思を伝えました。サブライムの財務状況を見る限り、今回の案件は過去最大級、本当にぎりぎりの勝負になるだろうなという予感がしていました。勝率70%。30%は負ける可能性があると感じていました。会社の存続で30%も負ける可能性があるなら普通はチップをベットしません。しかし、僕は会社のそして、みんなの可能性に賭けました。必ず成功させるという強い意志を持って・・・

そこから1か月かけてサブライムで最後の資金集め、八百八町の株主に既存株式をサブライムが購入するという旨の通知書を作り発送。結果70%以上の株式を取得しました。

 

それから6年経ちました。八百八町、そしてひもの屋という業態はあれから成長し続けています。

 

毎年、年末には必ず石井さんの家に行き、その年の近況報告をするのが恒例となっていました。2018年の年末も石井さんの家に行き、これからの展望を話したばかりでした。

 

それから3か月後、出張に向かう機内で、訃報が届きました。驚きで言葉が出ませんでした。ほんの3か月前にお会いしたばかりなのに、、、、

 

なんで??という思いが頭から離れません。


出張から帰り、そのまますぐに石井さんの自宅に向かいました。

居間の布団に石井さんが寝ていました。

死んでいるとは思えないような、寝ているような、そして今にも起きだしてきそうな褐色の良い顔をしていました。まさかここに寝ている石井さんが亡くなっているとは思わず、「石井さ~ん」と何度も呼びかけました。

当たり前ですが、石井さんは起きてきません。

石井さんを見ていると涙がどんどん溢れてきました。

そばにいて、石井さんを見ていると石井さんとの過去の会話が思い出されてきました。

「花光くん31歳だろ?俺がつぼ八を作ったときは31歳だったよ。これからは君たちが飲食業界を盛り上げていくんだ!任せたぞ!」

「花光くんが出せる額で良い。その金額で俺の会社を引き継いでくれ!」

「人生は長いようで、今思えば一瞬で過ぎ去っていった。だから過去に感謝、そして未来へ向けて挑戦するんだ。人生は本当に一瞬で過ぎ去っていくからな。いまを大事に生きるんだ。」

「飲食は、お客様の喜びがすべてだ。すべてのお客様が喜んでいるかどうか顔を見てみるんだ。それで大体のことはわかるから」

「いいか。飲食は営業前にほとんどが決まるんだ。準備8割、営業2割だ。その気持ちを忘れずにな。」

「ひもの屋ではなんで営業前に干物を干すかわかるか?味が凝縮するんだよ。ひと手間なんだ。そのひと手間を掛けられるかどうか。そこが大事なんだ。神は細部に宿るものなんだ。だから、面倒だと思っても手抜きをしないことが大事だ。氷もそうだぞ。あの氷(ひもの屋では大きな氷をアイスピックで割っている)がひもの屋を他の居酒屋と差別をする要素の一つになっているんだ。こういう要素をたくさん作りな。お客様は絶対にわかってくれるから。」

「つぼ八を作って、いとまんと組んで世間では、いとまんの乗っ取りなんて言われるだろ?けれど俺から言わせてもらえれば組まなかったらつぼ八を400店舗も作れなかったよ。だから感謝してるんだよ、いとまんに。」

「いとまんを出て、もう一度飲食店のこと考えたよ。冷凍食品を使わず、全部手仕込みで作る。お客様の顔を見て、だ。そうやって作ったのが梅屋敷の八百八町だよ。この店には当時の飲食店のすべてが詰まってたと俺は思うんだよ。」

「必ず日本に名だたる飲食企業を作ってくれよ。俺はワタミとサブライムの2つを育てるのに関わったって冗談でもみんなに言えるからね(笑)」

そんな言葉が頭の中にグルグルと回ります。

言葉を反芻するたび涙がどんどん溢れてきました。

石井さんありがとう。

そんな感謝の言葉が頭の中をずっと駆け巡っていました。

飲食人は素敵だなと思います。自分がこの世にいなくなった後でも、自分が作ったお店やメニューが作品として後世に残り続ける。そしてたくさんの人に関わり続けることが出来ることは本当に素晴らしいことだなと。

石井さん、本当に長い間お疲れ様でした。石井さんが作った作品は後世に残っていますよ。そして、これからも石井さんが作ったお店を作り続けていきますね。天国でゆっくりと休んでね。石井さんありがとう。