この小説の第一章【前編】からお読みになる場合は



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 第一章 100という名のノイズ【後編】



      100


細く、鋭い、明朝体のような黒い数字。


まるで皮膚のすぐ下に、精巧なレーザーで直接印字されたかのような質感だ。


大きさは一センチほど。



「……何、これ。タトゥー? 嘘でしょ」



指先でなぞってみるが、痛みもなければ、凹凸(おうとつ)もない。


希は洗面所に引き返し、石鹸をつけて皮膚が赤くなるまでこすり洗いをした。

けれど数字は、水を弾いてより鮮明にその輪郭を浮き立たせた。


除光液を使っても、爪を立てても、変化はない。



(……昨夜の飲み会で、誰かにイタズラされた? でも、こんなに落ちないものなんて……)



時間は無情に過ぎていく。

あと五分で家を出なければ、予定の急行電車に乗り遅れる。


プレゼン当日の遅刻など、彼女の辞書にはあってはならないことだ。



(……ただの、変なアザか何かよ。後で病院に行けばいい)



希は自分に言い聞かせると、無理やり腕時計をその上に装着した。


金属のバンドが     100 を完全に覆い隠す。

見えなくなれば、それは存在しないも同然だった。


オフィスは、三ヶ月後に控えた大型プロジェクト『エクリプス』の準備で、熱を帯びた活気に満ちていた。


午前九時の会議室。部長がホワイトボードの前に立ち、力強くペンを叩いた。


「……このプロジェクト、いよいよ今日から本番だ。世界同時ローンチまで、ちょうど100日だ!」


会議室に拍手が湧き起こる中、希だけは凍りついたように動けなかった。


……100日。


部長が誇らしげに掲げたその数字は、今、自分の腕時計の下に隠されているものと、一致していた。


偶然だ。そう自分を叱咤(しった)して、希は震える手で資料を開いた。


午後のプレゼンは、完璧だった。

彼女の淀みない説明と、論理的に積み上げられた予測数値に、クライアントは満場一致で賛成の意を示した。


「結城さん、さすがだね。君がいてくれて助かるよ」


部長に肩を叩かれ、希はようやく安堵(あんど)の息を吐いた。


やはり自分を救ってくれるのは、目に見える実績と、積み上げてきた信頼という名の数字だけだ。


その夜、プロジェクトの成功を確信したメンバーとの祝杯は、深夜二時まで続いた。心地よい酔いの中で、希は手首の違和感など忘れ去っていた。


帰り着いたワンルームのマンションで、パンプスを脱ぎ捨て、上着を脱いでそのままベッドに行き眠りについた。



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第一章、読んでいただきありがとうございます。

今後の読書のお供に、私が愛飲しているカフェラテをご紹介します。