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第三章 澱(よど)んだ空気と母の嘘


数字はあのネットで見た書き込みと同じように、日々減少していった。


数字が「85」に変わった金曜日の夜。

希は衝動的に品川駅へ向かい、下りの新幹線に飛び乗った。


駅からバスに揺られ、古い住宅街を歩く。

見慣れた玄関のドアを開けると、懐かしい生活臭が鼻を突いた。


「ただいま」


「……希? 急にどうしたの、連絡もなしに」


キッチンから出てきた母は、エプロン姿で目を丸くした。


「別に。近くまで仕事で来たから、寄っただけ」


「そう……。でも、夕飯まだでしょ? 今から何か作るわね。あんた、ハンバーグなら食べるわよね?」


母は希の返事も待たずに、おぼつかない足取りでキッチンへ戻っていった。


パンパンと肉の空気を抜く、あの独特の音がリビングに響き始める。


自分はあと85日で死ぬかもしれないという極限状態にいるのに。

母はそんなこととは無縁の日常を、強制的に希に押し付けてくる。


「……お母さん、別にいいよ。コンビニで何か買ってくるから」


「何言ってるの。せっかく帰ってきたんだから、温かいもの食べなさい」


キッチンから、激しい咳き込みが聞こえた。


母は背中を丸め、流し台に手をついて必死に呼吸を整えている。


「……風邪? 病院行ったの?」


「……ええ、大丈夫よ。ただの喉の風邪。それよりあんた、仕事はどうなの?」


母は苦しげな吐息を隠すように、すぐにフライパンを火にかけた。

肉が焼ける脂っこい匂いが立ち込め、希の胃を圧迫する。


「はい、できたわよ。冷めないうちに食べなさい」


テーブルに並べられたのは、不格好なハンバーグ。


その背後に隠された、母自身のタイムリミットに、希はまだ気づいていなかった。



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この章を書いている時、母が作ってくれたハンバーグの焦げた匂いを思い出して、胸が熱くなりました。

そんな温かい食卓にぴったりの逸品をご紹介します。

希が食べたあの日の味を思い浮かべながら、

大切な人と、あるいは自分へのご褒美に、

じっくりと味わっていただきたい一品です。