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 第四章 二つのタイムリミット【後編】


数日後。


都心の大学病院の診察室で、希は母の隣に座っていた。


担当医は、再検査の結果を交互に確認しながら、淡々と説明を始めた。



「……やはり、前のお医者様が仰っていた通りです。肺がんのステージ4。手術で取り除くことは難しい状況です」



期待していた「奇跡の否定」はなかった。


突きつけられたのは、地元で聞いたものと寸分違わぬ、無機質な宣告だった。



「質問はありますか、結城さん」



医師の問いに、希は迷うことなく首を振った。



「いえ。……特に、ありません」



母をこの「日本で有数の大学病院」に預けさえすれば、あとは専門家がなんとかしてくれるはずだ――。


そう信じ込むことで、自分を支えるのが精一杯だった。


廊下を歩く間も、母の肩を抱くことも、手を握ることもなかった。

感情を押し殺し、半歩先を歩き、病院を後にした。



「希、無理しなくていいのよ。あんた、仕事も大変なんでしょ」



駅の改札で、母が申し訳なさそうに言った。 



「仕事は大丈夫。じゃあ、また連絡するから。……またね」



母の姿が人混みに消えるまで、希は背筋を伸ばして立っていた。

一ミリも揺るがない、完璧な娘のままで。


希は母の姿が見えなくなったのを確認し、トイレの狭い個室に駆け込んだ。


鍵をかけた瞬間、希の膝から力が抜けた。



「……っ、う……あ……」



声にならない叫びが、喉の奥から漏れ出す。


壁に頭を押し付け、希は激しく泣き崩れた。


母の前では絶対に泣かない。

それが、母を一人にした自分なりの、歪な責任の取り方だった。



(あと少ししかない。お母さんも、私も)



母には五十年という月日があった。

自分には、たった二十四年しかなかった。


それなのに、二人のゴールラインは今、恐ろしい速さで近づき、重なろうとしている。


希は震える手で、左腕の腕時計を強く締め直した。



数分後、ドアを開けて外に出る時には、彼女の顔には再び、誰にも隙を見せない「結城希」の仮面が張り付いていた。


左腕の袖の下。


そこには、**「82」**の数字が、静かに刻印されていた。



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大切な人の前で、悲しいはずなのに無理に笑ってしまったことはありますか?