多くの人が
勘違いしてる事があるのだが
例えば
悟りというモノは
自由に決めていい❗って事
コレが悟りで
アレは違うとかではなくて
自分が悟った❗って思えば
それを悟りと決めていい
しかし
自由に決めたという事は
その決定の責任は自分が追う事も
合わせて追記しておく
でね❗
決めなくていい事
決めているんだ❗
決めなくていい事も
たくさんある
幸せとか
善悪とか
答えとか
その瞬間でどっちかを
選ぶだけ
ずーっとその決定を
持ち続ける必要は無い
必要ないのに
一回決めたから
その決定に縛られていく
価値観を知る為に
どちらかにポジションを取る
コレは有効性が高い
けども
人は一度ポジションを取ると
ソレを手放せなくなる
軽く生きる時は
なーんにも持ってない時
全てどうでもいい
例え海の向こうで
100万人死のうが
私にはなんとも思わない
目の前で子供が転んだ方が
大問題だよ
いらないモノを持たない
持っても直ぐ手放す
決めるとそれは
世界への宣言
決めるとそれに沿って
全て動き出す
この流れが一連あって
結局
手放しして
決める❗から始まる
もういい
知ってる
でもね
その場所で何もしないのも
違うんだ
なぜなら今の場所に執着が
生まれて
苦しくなる
結局
循環し続けなければ
苦しむだけ
前にすすむしか
楽になれない
この循環が仏教では輪廻
キリスト教でも再生の循環
いろんな所で必ず
循環が出てくる
この世界はね
時間というモノがあるの
この時間という概念を
人は忘れてしまうから
終わりがあると
思い込んでいるんだ
終わらない
ただグルグル回るけど
広がっていくような
上に上がっていくような
感覚なんだ
同じ所で
回ってるわけじゃない
いやまあ
これは感覚なんで
どう思おうと
どうでもいいけどね
時間が勝手に
追い込んでくるの
時間ってね不思議なんだ
時間は過去も未来も
切り取って見る事が出来る
でも
今を見ようとしたら
切り取った瞬間に過去になる
今を見るのではなく
有る事を感じる
コレはね
真理と同じ現象が起きてる
真理も見よう見ようとすると
どんどん遠ざかってしまう
真理は有る事を
感じようとした時だけ
感じるんだ
いわゆる
悟りも真理も
静的に見ようとすると
見える
しかし
動的に見ようとしたら
見えない
ただ有る事だけは感じる
いや
こんな説明はどうでもいい
循環は動的なんだ
時間が進めば真理も動く
真理が動けば
悟りも変わる
だから
グルグル回ってる感じるが
その瞬間的な悟りは
違うモノになり
真理も変わり
時間も進む
勘違いとは
時間を忘れてしまう
真理のように
常に有るのに忘れてしまう
この時間的概念が
抜けてしまうと
また
生き難くなるんだ
だけど安心していい
今に執着して時間に遅れ
生き難いのも
人生の色合いだよ
ココで感情が動き
気付きがあり執着を手放す
それは人が人である事なんだ❗
もし
流れに身を任せるというなら
流れの中には
崩壊も再生もある
溺れる覚悟を持って
初めて
流れに身を任せられるんだ❗
どこまでいっても
終わりなんてない。
それが循環
ただ
その道の途中には、
たくさんの“心を磨くイベント”が待ってる