私はすこし前に
性善説でもなく
性悪説でもなく
性神説
ということを言っています
人は神である
真理よりも
宗教よりも
スピリチュアルよりも
まず、生きている自分がいる
真理も宗教も
その自分が生きるために使う道具である
でね
神だから
強いわけではないんだ
人は神である
でも、
だからといって、
いつでも強いわけではない。
迷うこともある
苦しくなることもある
自分では何も決められなくなることもある
「もう誰か答えを教えてくれ!」
となることだってある(笑)
それでいいと思う
だって
未熟な神なのだから
私は以前から
「未熟は完璧」
ということを書いている
未熟だから
迷う
未熟だから
誰かを頼る
未熟だから
何かを信じる
それも含めて
今ここにいる自分なのだと思う
だから私は
宗教を信じることも
スピリチュアルを信じることも
別に悪いとは思っていない
仏教でもいいんだ
神様でもいいんだ
占いでもいいんだ
誰かの言葉でもいい
それで今日を生きられるなら
信じればいい
明日の支払いが不安で
眠れない夜もある
人間関係で
心が折れそうになる日もある
そんな時に
「何にも執着してはいけません!」
なんて言われてもさ
いやいや
こっちは今
生きるので精一杯なんですけど(笑)
となることだってある
そんな時は
掴んでいい
頼んでいい
信じていい
必要だから
そこにあるのだと思う
仏教には
八正道というものがある
正しく見て
正しく考えて
正しく語って
正しく行動して……
とてもよくできた道だと思う
世俗の中で生きていくなら
かなり使いやすい
迷った時に
「どうしたらいいんだ?」
となったなら
八正道を使えばいい
でも
私から見ると
八正道すら執着になることがある
いつの間にか
「八正道を使っている」
から
「八正道に従わなくてはいけない」
に変わる
苦しみから離れるために使っていたものに
今度は自分が苦しめられる
道具だったものが
いつの間にか
自分より上に来る
ここが
ちょっと人の不思議さなんだ
救ってくれたものだからこそ
神にしてしまう
人は未熟だから
自分を救ってくれたものに
自分の人生の主導権まで渡してしまうことがある。
この教えに救われた
だから
この教えは絶対に正しい
この人の言葉に救われた
だから
この人の言うことなら間違いない
この方法で苦しみから抜けられた
だから
みんなもこの方法を使うべきだ
でも
それくらい
あの時は救われたのだと思う
真っ暗なところにいた時に
そこから引っ張り出してくれたものなら
大切にしたくなるのは当然だ
だから私は
それを悪いことだとは思わない
ただ
少しだけ順番が変わっている
それは
あなたを助けてくれた道具
だったのかもしれない
あなたより偉いものだったわけではない
そして
ちょっと反転する
ここまで考えて
私は人間の不思議さが見えた
人間は
神を作る
真理を作る
宗教を作る
そして
自分を救ってくれたものを
自分より上に置く
「私は未熟だから、
この教えに従わなくてはいけない」
「私は間違えるから、
この人の言うことを聞かなければならない」
そうやって
少しずつ
自分の外側に神性を置いていく
でも
解脱という景色から見ると
これが反転してると見えるんだ
もしかすると
人間は
自分から神性を奪っているのではないか
神性を外に置いて
真理を外に置いて
正しさを外に置いて
自分はその下に入る
でも
最初から神だったのなら
そこまでしなくても
よかったのかもしれない
必要なら
また信じればいい
だからといって
何も信じるな
という話ではない
むしろ逆
必要な時は
信じればいい
だって
私たちは未熟な神なのだから
弱くなることもある
迷うこともある
一人では立てない日もある
そんな日は
何かに掴まればいい
それで立てるなら
しばらく掴んでいればいい
そして
いつか必要がなくなったら
手を離してもいい
また転びそうになったら
また掴めばいい
そのくらいで生きると
軽くなるのでしょう
真理も
宗教も
スピリチュアルも
神様も
人間を縛るためにあるのではなく
**未熟な神である私たちが、
生きるために使う道具。**
未熟だから
信じることがある
未熟だから
間違えることもある
未熟だから
誰かに頼ることもある
それでいい
今日
自分一人では立てないのなら
何かに頼ったっていい
明日になって
自分の足で立てるなら
その時に手を離せばいい
そして
また必要になったら
また掴めばいい
未熟は完璧!