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何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

俳優・山崎努の書いたエッセイ本<柔らかな犀の角 文春文庫>が面白過ぎる。
と言っても最近の本ではなく、2014年に発売されたらしい。振り返ってみても宣伝などしてなかったし、そもそもテレビに出て来る人ではないので、本が出ている事すら知らない人の方が多いのだろう。まず驚いたのは、山崎努は読書家であり、文章を嗜む文系の素養を持っていた事だった。
彼の読む本はジャンルに捕われない。読みたいと感じた本は片っ端から読むと言うスタイル。どこぞの書店に入っては気になった本を物色し、読書に耽る。買ったのは良いが読んでない本が本棚に収まっているらしい。本人は、もしかしたら一生困らないだけの本の蓄えがあるかもしれないと綴っている。
意味ありげなタイトルの「柔らかな犀の角」の由来について此処では詳しくは書かないが、どうやら彼の生き様、人生とはこうありたいと言う想いを込めてのタイトルらしい。演じる役柄もあってか粗暴なイメージの山崎努だが、この本に書かれている文体や文章を、あの声、あの表情を想い出しながら読んでると、とても愉快な気持ちになる。途中、何度も吹いたし、声を出して笑ったり、思い出し笑いをしたり、刺激的な内容であった。積もる所、山崎努と言う人間が面白い。

俳優として評価され、尊敬され、これだけの存在にも関わらず、まるで気取りが無い。
彼の日常は底辺との交わりである。河川敷のホームレスと戯れ、何処ぞの老人と交流し、食事は白飯と漬物を食ってる時が幸せなのだと言う。大好評の新必殺仕置人の念仏の鉄と言うキャラが芝居じみてないのも、この辺から来ているのかもしれない。
特に笑いのツボを突かれたのが183ページからの「小さな希望 不良少年 女中」の章。長年懇意にしている93歳の老女との交友話。足を悪くした彼女は毎日、寝床から見える位置にあるカレンダーを見ながら命数を計っている。死にたがっている理由は、先年亡くした夫の後を追いたいからであった。

「今月中に爺さんが迎えに来てくれると思ってたけど駄目みたい」

そう言ってニッと笑う。
山崎努は爺さんの納棺の日、老女がこんな事を言っていた事を想い出す。

「爺さん、早く迎えに来て!早くイイとこへ連れてって!早く!早く!」

その言い方は凛とした明るい声で歌う様であったと言う下りで、失礼ながら私は笑い転げてしまった。やや暫く思い出し笑いに襲われた。
こう言う文章の持って行き方を見てても彼の文章のセンスを感じる。小説家とまではいかないかもしれないが、コラムニスト、エッセイストとしても成功したのではないか?とも思えてくる。
この本には死生観についても取り上げていて、もう高齢者の部類に入る山崎努も興味津々に著名人の死生観を読み漁っている事が伺える。中でも絶賛しているのが鶴見俊輔。「不逞老人」と言う著作を挙げ、そこでも笑いのツボを押された。

「水木しげるが小学校に行った時に「人間って皆、死ぬんだよ」と言われて、「嘘?」と思ったと言うんだ」

と言う下りに対し、「嘘?」がイイ。実感があると書いている。
又しても私は此処で吹いてしまった。そして思い出し笑いw

一昔前、一流の書き手は一流の読み手であると書いた本を読んだ事がある。当時、私は20代で若かったし、本を一杯読めば旨い文章が書けるんだろうな程度にしか解釈してなったのだが、どうも違うらしい。
つまり、一流の人って言うのは奥が深いと言う事。山崎努は物書きではないけど、一流の俳優であり、人生観、経験談、交友関係を有りのままに綴った文章はとてつもなく面白い。彼自身はきっと大した事の無い日記みたいに思ってるのかもしれない。だけども読み手の感性は違う。書物で人を笑わせるって事は相当凄い事だと思う。こういう本は中々お目にかかれない。笑えるツボを二点ほど挙げたが、この本には、まだまだ楽しさが詰まっている。
こんな面白い本が世に知られてないと言うのも念仏の兄貴らしくて、そこが又良い。

どう言う訳か、77年作の松竹映画・八つ墓村を観たくなってビデオ棚から引っ張り出して観賞。録画から何年も経ってるから少々画面が劣化していたが、その劣化具合がイイ感じに雰囲気を出していた。
この映画をスプラッター邦画ホラーと言ってる内は、まだ甘い!この映画はそれを通り越して芸術的映画へと進化している事に気付いた。何故、芸術なのか?それを順を追って説明していこう。

時代を超えた怨念・・・と言うキーワードを持ったこの作品。
改めて見て凄かったのは、主役の渥美清や萩原健一などどうでもよく、この映画の真の主役は山崎努であり、夏八木勲であり、小川眞由美だったという真実!
映画の冒頭、落ち武者が山を越え、谷を越え、滝を登り、村へと辿り着く。八人の落ち武者達は無言のまま、丘の上から炭火の煙が立ち昇る穏やかな村を見下ろしている。このシーンはラストのシーンと見事にリンクしていて面白い。
この無言って所がポイントで、もしも冒頭のこの場面で
 

「殿、村に着きましたぞ」
 

「うむ、その様だな。良かった、良かった」
 

とかの会話があったりしちゃったら、その後の展開が崩れただろうなと思うw

映画開始から30数分すると、例の落ち武者殺しのシーンが始まる。
このシーンで描かれる殺戮描写は、何処から何処まで本気で冗談なのか判らない位、観る者を釘付けにさせる。毛利元就との戦いに敗れた尼子の一族。この村に落ち延びてきたのは尼子義久の弟の尼子義孝と言う人物らしい。その義孝が家来7人を伴って落ち延びてきた。
そもそも何故、この8人は村人から殺される羽目に陥ったのか。原作では落ち武者達が尼子家復興の再起を図る為に、村の何処かに金銀財宝を隠したらしい事が動機になっているのだが、この映画ではそのエピソードは撤廃され、単に報酬欲しさの為の浅ましい欲として描かれている。その村人達の浅い動機が、かえって落ち武者達の怨念を増幅させる結果になっており、最後の謎解きへの大きな複線になっている。

尼子義孝ってどんな奴なんだ?・・・この映画を観た戦国好きの輩は、ゲーム・信長の野望などの戦国武将列伝などの本を読み漁って調べると言う共通の行動を起こすw
果たして尼子義孝に関する文献は存在するのか?
答えはNOだ!
だって尼子義孝は、この映画の為だけに作られた架空の人物だからだ。原作には落ち武者の若大将とだけ書いてあるだけで、尼子義孝と言う名前は使われていなかった。義孝の兄・尼子義久という人物は実在の人物であり、この人物は尼子家衰退の時期に君主になった力無き人物だったらしい。

小川眞由美演じる森美也子の落ち武者・伝説話によると、村にやってきた落ち武者一行に村人達は警戒心を抱いて様子を伺っていたが、暫くすると落ち武者達は鎧や武器を捨て、鍬や鎌を持って畑を耕すし、炭を炊くし、こりゃ一安心と言う具合になったらしい。
所が、こんな山奥にまで毛利方の落ち武者狩りの波が押し寄せてきた。「この村に落ち武者があれば出せ、その中に尼子義久の弟の義孝が居れば莫大な恩賞を取らす」と言う御触れがやってくる。
村人達は最初困惑したが、村の中から四人の首謀者が現れ、残りの者達はそれに乗って加担してしまう。その四人の中の主犯格は、この物語の中心である多治見家の先祖・多治見庄左衛門(たじみ しょうざえもん)だった。

そして、その時がやってくる。
まともにやりあっては勝ち目が無いとみた四人の首謀者は、落ち武者達を夏祭りと称して鎮守の森の広場へと誘い込む。落ち武者を毒酒で酔わせ、その隙に殺そうという卑怯極まりない策だった。
夏祭りは一見盛り上がってる風だった。舞台では村人による八岐大蛇とスサノオノミコトの一騎打ちが演じられ、落ち武者達は代わる代わる村人達から酒を注がれ完全に酔いの頂天。だが、幔幕の裏では着々と騙まし討ちの手筈が整えられていた。

酔いの最中、盛り上がる一人の落ち武者の手から杯がこぼれた。
その落ち武者は嘔吐し、唐突に苦しみだす。それを見たスサノオを演じていた村人は刀をキラリと鞘から抜き、目の前に居た義孝の肩口に向けて斬りかかった。義孝の肩口から迸る鮮血!それを皮切りに殺戮の地獄絵図が展開されていく。
胸元に鎌を立てられ切り裂かれる者、頭上に大鎌を突き立てられる者、木に吊るされ首を跳ね飛ばされる者、小屋に逃げ込んだものの火を点けられて火達磨にされる者、眼に竹槍を突き刺される者・・・地獄と化した鎮守の森の広場!
一人、二人、三人と惨死していく落ち武者達!最後に残ったのは義孝一人!
倒れこんだ義孝の手の甲に村人は容赦なく鎌を突き立てる。間髪居れず村人は竹槍を一本、二本と喉元と腹に突き立て、止めの一撃とばかりに刀をグサリ突き立てる。最後に突き立てたのは多治見庄左衛門だった。

全てが終わった。村人達は終わったと誰もが思った。
その時だった。死んだかに思えた義孝が雷鳴と呻き声と共に立ち上がった。

「おのれ~・・・卑怯な騙まし討ちを・・・」

義孝の血みどろの凄まじい形相に村人達は後ずさる。

「た、祟って・・・祟って~・・・・・」

顔面蒼白、血まみれの義孝は消え入りそうな声を振り絞って言う。
「うるせ~!祟れるものなら祟ってみよ~」ビビる顔でそう言い放ったのは庄左衛門だった。庄左衛門は義孝に駆け寄って最後の一撃を見舞う。その場で崩れ落ちる義孝。
村人は殺した八人の首を切り取った。その中には火によって顔の原型を無くした者の首もあった。眼を突き刺された者も、そのまんまの状態で首を取られた。そして雷鳴の轟く鎮守の森の寂れた寺小屋に八人の首は晒される。

普通に観てると凄惨だけが印象のこのシーンだが、見方を少し変えれば撮影スタッフの拘りの美学が感じられる。落ち武者達が、どの様に殺されていくのかを一々見せていく拘りと言うか、制作側と役者達の真剣さと遊び心が垣間見られる。
落ち武者の首が飛んで村人の腕に食い付いたり、晒し首が雷鳴と共にニヤリと笑ったりなど、遊び心がなければ出来ない芸当だ。この場面での主役は間違いなく尼子義孝を演じた夏八木勲だった。そして、この映画で夏八木勲と言う役者を知った人もきっと多い事だろう。
一番興味深いのは、彼にとってこの作品がどういうものであったかと言う事だ。この作品について夏八木本人は過去から今に至るまで語った事が無いのではなかろうか?彼にとってこの作品は記憶から抹消したい作品なのだろうか?
後に様々な形でリメイクされる八つ墓村だが、この場でハッキリ書こう!この作品の尼子義孝以下、落ち武者の存在を超えた存在は居ない。ハッキリ言って、この作品の夏八木勲を知らない若い世代は気の毒だ。今は日本の大俳優の一人になった夏八木勲からは想像もつかない若き日の彼の雄姿が、この作品で観れる事に幸せを感じる思いだ。まだ観てない人は絶対に観るべきだ。夏八木勲の真の凄さが判る筈だ。

永禄9年、1566年から始まる、この物語。
この物語を引っ張っているのは、八つ墓村と言う恐ろしい地名の語源になった8人の落ち武者達といってもよい。物語は過去から始まり、現代へ向かう。登場人物たちと8人の落ち武者を結ぶ、切っても切れない腐れ縁とは一体何だったのか?
この映画の鳥肌の立つ本当の恐ろしさは、練りに練られた落ち武者と多治見家の因縁と辻褄、犯人ですら知らなかった遠い過去とDNAだったと言える。
尼子家が毛利元就によって滅ぼされた1566年と言う時代は、あの織田信長でさえ台頭してなかった時代背景だ。この物語で落ち延びてきた尼子義久の弟の尼子義孝と言う人物は架空の人物だが、実在の背景としてみれば二人の父は尼子晴久、祖父は尼子経久という事になる。
過去、この尼子家を扱ったNHK大河ドラマがあった。それは1997年の大河ドラマ<毛利元就>だ。このドラマを観た後、
もしくは観る前に八つ墓村を観れば、より、この映画にのめり込めるだろう。毛利一族を扱う一方で、尼子家の隆盛から衰退までを描いたこの作品は、非常に参考になる資料になる。
どういう縁なのか、それとも制作側の意図なのか、この大河ドラマ・毛利元就に夏八木勲が出演しているw
しかし、役柄は尼子家の人物ではなく、敵対勢力の家老として登場。尼子と言うキーワードも重なってか、彼を見て八つ墓村を思い出した人も少なくない筈だw 彼の役がもしも尼子家の人物だったら、ナイスキャスティングだっただろう。

映画開始から約1時間、あの伝説のシーンにもなった山崎努演じる多治見要蔵の32人殺しが幕を開ける。
このシーンも釘付けだが、それにしてもこの殺戮シーンの山崎努以下、製作スタッフは本当に楽しそうだ。要蔵の刀で中途半端にチョン切れる首、赤子を刺し殺す時の赤子の「ムギュッ」っと言う悲鳴、まるでバイオハザード4&5の様なアングルから猟銃を村人に命中させる要蔵、婆さんを井戸に投げ落として、更に留めの猟銃一発を井戸に向けて放ったり、その手の人達にとってはツボ突きまくりの演出が満載だ。
山崎努は、この役が相当お気に入りだったらしい。そんな一つのエピソードがある。この衣装とメイクには相当な手間と時間が掛かったらしく、面倒になった山崎努は、なんと要蔵ファッションのまま、高速道路を車で運転し、料金所の係員を驚かせたらしい(笑)そりゃ~驚くだろうよ!

後、この殺しのシーンに丹古母 鬼馬二(たんこぼ きばじ)が殺され役で登場するのだが、何かのワイドショーの自宅取材インタビューの際、笑顔の多治見要蔵と肩を並べてのツーショット写真がチラッと公開された事がある。この映画のファンにとってそのツーショットは、もはや神に等しいレア物だろう。

そして物語は架橋へ突入。渥美清演じる金田一によって、八つ墓村事件の真相が語られていく。
切々と語る金田一を遮る様に、八つ墓村勤務の新井巡査は彼に聞く。

 

「犯人の動機は、なんだったんですかね?」
 

金田一は言う。「あの・・・この事件はね、犯人の動機がどうと言うよりも、犯人ですら知らなかった実に不思議な事実があるんですよ」
 

八つ墓明神を利用した連続殺人事件と誰もが思っていたこの事件は、起こるべくして起こった奇妙な過去と現在の一致があった。

物語の中核を担った28年前の多治見要蔵の32人殺し。この惨劇の中で家系が絶えてしまった家族が三軒。
かわいけんじ、はせ よしぞう、こやまやいち・・・この三家族の家系を遡って行くと、昔、落ち武者殺しに加担した四人の首謀者の内の三人、仁平、直吉、由一の直系の子孫だったと言う驚愕の事実が判明!
義孝が死の間際に言い残した「末代まで祟ってやる」と言った呪いは、皮肉にも、四人の首謀者の中のリーダー格だった多治見庄左衛門の子孫である多治見要蔵の手によって達成されてしまう。
落ち武者殺しの後、庄左衛門は気が狂って発狂し、村人を何人か切り殺した後、自分で自分の首を跳ね飛ばして死に、その庄左衛門の子孫である要蔵も又、気が狂った後、洞窟の中で死んで死蝋化した。
だが、最も呪われている多治見の一族は絶える事無く未だに生き残り、代々に渡って当主が狂人と化し、呪われ続けている。
更に驚くべき事実は、八つ墓村事件を起こした犯人の家系図だった。
犯人の家系図を遡って行くと、尼子義孝の子から24代血を引く直系の子孫だった。義孝は冒頭のオープニングで村に落ち延びる前に、妻を播磨に落ち延びさせていた。妻の腹には義孝の子が宿されていた。播磨に落ち延びた義孝の妻はその後、地域を流れ流れて、今の島根県の広瀬町辺りに落ち着き、その時に産んだ子から24代血を引く子孫が、この事件を引き起こした真犯人だった。

全ての謎解きは終わり、犯人の死によって事件は急速に解決に向かっていた。
その最中、要蔵が死に絶えた洞窟から飛び出してきた無数の蝙蝠の大群が多治見家に押し寄せる。蝙蝠は狙い澄ましたかのように多治見家の仏壇の蝋燭を倒し、その火が家に引火して炎上してしまう。業火と化した火は、多治見の最後の生き残りである双子の老婆の片割れをを生きながら焼き尽くしてしまう。
その光景は、昔、落ち武者を襲撃し、落ち武者三人を生きながら焼き殺したのと同じ様だった。
炎上する多治見家。その炎上を丘から見下ろしている八人の影。八人は落ち武者達の亡霊だった。
落ち武者達は皆、ウッスラと笑みを浮かべている。落ち武者達の姿は、戦争でもして来たかの様に体中血まみれだ。中でも義孝の形相は凄まじい。髪は振り乱れ、青白い顔、目には深い隅、口元の端からは血が滴っている。その表情はまるで「ざまあみたか!多治見よ!」とでも言いそうなほど不敵で恐ろしい笑みだ。
炎上によって呪われ続けてきた多治見家は400年の時を経て遂に絶えた。それは落ち武者達の望んだ最後の呪いの仕上げだったのだろうか・・・・・
 

この映画のポイントを一つ挙げるとするならば、一連の事件は犯人の意思とは無関係であり、起こるべくして起こった多治見家と尼子義孝の、時を越えた両者の因縁物語と言う事になる。
観客にとってホラー映画とは、観終わった後に「面白かったね。怖かったけど全ては創作だもんね」と言って、笑い話にしたいもんだ。だけども、この八つ墓村と言う映画はちょっと特殊であり、観終わった後に妙な気まずさを覚えさせてくれる。その気まずさとは一体何なんだろうかと考えてみる。
浅はかな欲によって消さなくてもよい存在を消してしまうと言う人の愚かさなんだろうか。観る者にとって、一連の殺人事件は犯人の意思で行われ、その後、正義の鉄槌を下され、幕を閉じる事こそが後味の良い結末だっただろう。
でも、そうではなく、目には見えない未知の力によって引き起こされた事件だったと知った時に、客は思い出す度に背筋がゾッとする感覚を憶えてしまう。それが時としてトラウマになる事もある。
何度も何度も観る度に味が出てくるスルメの様な不思議な映画。それこそが、八つ墓村なのである。

 

 

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松竹から「あの頃、映画サントラシリーズ」として、待ちに待ったファン待望の松竹版・八つ墓村のサントラCDが発売!早速購入して聴いたので、その感想文!
同封の解説書を読んでみると、過去、3度のCD廃盤。今回が4度目の復刻版らしい。しかしながら、今作は映画用マスターテープ音源を初収録&商品化と言う事なので、単純に復刻版と括ってしまっては語弊があるかもしれない。で、その出来具合だが、最初に書いておくとファンなら太鼓判のデキ具合!聴きたかったアノ曲が全て収録されている。

今まで芥川也寸志が手掛けた松竹・八つ墓村の音楽を、映画やネットでしか聴いた事が無かったんだけど、今回、聴いてみて改めて素晴らしい。

と言うか美しいと言う表現の方がシックリ来る!

アノ場面の怖かった音楽も雑音無しのCDで聴いてみると、あらビックリ!美しい音楽に聴こえて来るから不思議だ。
収録曲は全37曲。どれも長いのかと思いきや、1~27のエンディング曲まで、映画の場面で使われていた曲がテンポ良く短めにリレー式に切り替わっていくと言う仕様。実際聴いてみて個人的に思うに、このCDの真の本番は28曲目の道行のテーマ(シングル・バージョン)から。
道行のテーマは別名「青い鬼火の淵」と言うタイトルで、劇中では寺田辰弥と森美也子が洞窟内を探検する時に流れる音楽。この曲が素晴らしく美しい。松竹・八つ墓村の象徴的な音楽と言えばオープニングの曲が定番だが、ある意味、この道行のテーマこそ、この映画の真のメインテーマなのでは?とさえ感じてしまう。
このCDには、その道行のテーマがバージョン違いで3曲も収録されていると言う凝り具合で、聴き比べてみると微妙~に変化が感じられる。
以下、全37曲の中で個人的にオススメの選曲を挙げてみたので、購入する時は参考になれば幸い。
 

第1曲目:メインタイトル

まず驚いたのは、今やソフトバンクのCMでも流されてるオープニングのアノ曲に、正式タイトルが無かった事だった。
劇中でも部分的なフレーズが一番使われてる曲であり、他の曲の中に断片的に入ってたりする。この曲を聞いて、まず浮かんでくるのは映画冒頭の8人の落ち武者達の姿である。
安らぎを求めて村に落ち延びてきた8人のホッとした安堵の表情と、この曲は見事にマッチングしている。我々視聴者は、その後、8人の落ち武者達に訪れる悲劇を知っているだけに、この曲は情緒的に更に切ない。

第8曲目:四百年前・落ち武者惨殺

劇中で使われたのは、落ち武者達が毒酒で酔い潰され、尼子義孝が斬り付けられる際に流れる曲。この曲に乗せて次々に葬られていく落ち武者達。雷鳴が轟く中、血まみれの尼子義孝が壇上で凄む姿を連想してしまう。その後、8人の生首がズラッと並べられ場面が現代に戻るまでが、この曲の最後。
オドロっぽいと言えばそんな曲だが、聴き様によってはゴジラみたいな怪獣映画とかで怪獣が大暴れするシーンに使われても良さそうな曲でもある。昔懐かしの大魔神にも似合いそうだw

第12曲目:惨劇・32人殺し

八つ墓村と言えば多治見要蔵。松竹版と言えばコレだろう。今更、説明も不要の傑作と言うか不屈の怪作。正直、コレを目当てに買う人も結構居ると思う。
桜吹雪を駆け抜ける山崎努版・多治見要蔵。初めて聴いた者ですら戦慄が走ってしまう魔力を秘めた曲と言うか、一回聴くと忘れないのではないか?その位、印象深い。
で、CDになった時、どんだけ長い曲なのかなと期待してたのだが、長さは映画版で流れたのと全く同じ。収録版は、もっと長いのかと思っていた。
以前、購入した洋泉社の「金田一耕助映像読本」の八つ墓村記事に「運動会の徒競走で流せば会場が大盛り上がりなのでは?」と書かれていたのだが、大賛成である。この曲が流れる中、子供達が形相を変えて懸命に走る姿を想像しただけで興奮してくる。

第14曲目:お宮参り

終始、殺伐とした描写と物語の中で平和を感じ、印象に残ったのが、井川鶴子がお宮参りをする回想シーン。そこで流れた曲。
「鶴子の産んだ子は多治見要蔵の子ではない・・・」お宮を見下ろせる丘の上から、そう語った井川丑松。序盤、いきなり恐ろしい死に方をして視聴者をビビらせた加藤嘉演じる井川丑松。だが終わってみれば、彼こそが、この物語の全ての真相を知っていた様な気がしてならないのは私だけだろうか?
そして、この曲を最も象徴しているのが、お宮参りをする井川鶴子の存在感。丘の上の井川丑松の声が聞こえたかの様に後ろを振り返る鶴子。赤子の辰弥を抱き、穏やかな表情で丘の上を見上げる中野良子演じる鶴子の姿が視聴者の涙を誘う。
この場面で使われたのはメインテーマ曲のアレンジだが、このシーンでの、この選曲は大正解と言える。そこには確かに井川丑松、鶴子、幼き辰弥の三者にしか判りえないであろう独特な空間があった。

第15曲目:八つ墓村の系譜を追って

以前、このカテゴリーでも書いたのだが、この映画の金田一耕助は、落ち武者伝説の話を聞いた辺りから執拗に過去と被害者の系譜に拘りを持つ。名探偵・金田一が感じた天才的直感と言えばそれまでだが、普通は調べたりしないだろうw
今、改めて観直して見ても、金田一の系譜巡りの旅は、どうにも不自然で浮いてる感じがする。この時期に、何故、そんな旅をする必要があるのか?と言う素朴な視聴者の疑問。
この描写を理解出来るとしたら、この事件の真相が<因果>であった事を金田一自身が最初から感じていなければ成り立たない無茶な行動である。
とは言うものの、此処で流れる曲は秀逸w 名所と時刻が切り替わり、まるで松本清張作品みたいな描写だったが、渥美清の存在感の御蔭で流れが乱れる事は無かった。

第26曲目:呪われた血の終焉(落ち武者のテーマ)

多治見家炎上で流れると同時に、この物語のラストに相応しい傑作曲。戦国チックな感じのテイストであり、ジワジワと終焉が迫り来る様なゾクゾク感が堪らない。
劇中では多治見家の炎上からズームアウトし、夕日の丘から8人の落ち武者達の亡霊がノスタルジックに佇む辺りが一番盛り上がる曲。物語の終焉と結末、因果、村人に裏切られた落ち武者達の悔しさ、そして達成した400年越しの復讐・・・この曲を聴いてるだけで田中邦衛、稲葉義男、今は亡き夏八木勲の表情が頭に浮かんでくるではないか。

第29曲目:落ち武者のテーマ(シングル・バージョン)

この曲は映画未使用の曲である。解説書によると、昔出した道行のテーマのレコード盤のB面に入っていた曲らしい。
本編では使われなかったが、何処かで聴いたと思ったら、現在、市販のDVD版の特典・予告編5の冒頭、丘に並ぶ落ち武者のシーンに使われていた曲だった。感想としては、いかにも戦国チックで、スリル感と言うか、これから戦争をするぞみたいなノリ。
個人的には本編の落ち武者のシーンで使って欲しかった。冒頭の滝を登るシーンとか、村に落ち延びるまでの過程で流すのも面白いのではなかろうか。

そんな感じで、注目の選曲は以上。
とにかく、ファンなら買って損は無い一品。そして聴く際は、遠慮がちに小さい音で聴くのではなく、窓を閉め切って無音にしてスピーカーで響かせて聴いて貰いたい。