同窓会とは何かを考える! | 何でもアル牢屋

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趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

恐縮ながら個人的な今年の総決算と言う事で書き綴りたい。長くなりそうなので、数回に分けようと思う。年内には終わる予定。
35年ぶりの中学の同窓会に行って来た。場所はホテルの宴会場で、集まった人数は30人。35年ぶりと言うのは昭和50年生まれの世代が今年50歳と言うキリ番と言う事で、クラス会を更に拡げ、4クラスで集めてみようと言う趣向だったらしい。
一つのクラスが男22人、女22人。偶数の44人だから、4クラスで全員集まった場合、160人を超える訳だが、集まれたのは1クラス以下の30人。幹事に聞いたら、連絡が取れないのが一番の来れない理由らしい。これはもう仕方が無い。私達の時代は携帯電話やスマホなんか無かったし、連絡の手段が卒業アルバムの自宅番号しかない。仕事の都合で地元を出た人、女子なら嫁いで他所の土地へ行ってしまったとか、まあ色々。
連絡は取れたけど自分の意思で来なかった人もチラホラ。こう言う人達も気持ちは判る。私達くらいの歳になると純粋さよりも合理主義や損得勘定が強くなってくる。今更会ってどうなる?とか、会った所で何を話すんだとか。恋の出会いを求めてと言うのも現実味が無くなってくる。特に女子は、50と言う年齢で仮に独身だったとしても、妊娠&出産と言う流れも実質無理。付き合っても展開が望めない以上、テンションが上がらない。
会費は一人8千円だったが、この値段を払うなら国産の新米を買った方がどれほどの得なのか?と考える人も居ただろうと思う。かと言ってこう言う同級生を責める気は全くしない。同窓会とは全く突然のイベントであり、唐突であり、急であり、時には日常のバランスさえ乱しかねない大仕事な訳だから。
 

それで、いざ35年ぶりに再会してみた訳だが、皆、若い。若く見える。私の想像では禿やデブなど、極端に容姿が変わった姿だったのだが、冗談じゃなく本当に一人もそう言うのが居なかった。
私がホテルのロビーに到着し、幹事は何処かなとキョロキョロしてると、幹事はすぐにサングラスを掛けた私を見つけてくれた。

幹事:「〇〇さん?御無沙汰してます。〇〇です」

私:「おお、久しぶり」


35年ぶりにも関わらず、御互い自然体の笑顔の再会で全く違和感が無い。これは不思議であった。
中学の同窓会は過去2回あったが、私は2回とも参加しなかった。参加しなかった理由は忙しいとかじゃなく、不安が強かったからだった。具体的には話し相手が居るんだろうか?とか、近づいてきてくれる人が居るだろうか?とか、要は孤立に対する不安が強く、それだけ悩んで苦しい位なら行かない方がイイかもしれないと言う考え方に支配されていった。
私にとっては3度目の正直であった。心の何処かで「もう一回くらい同窓会無いかな?・・・」と思う事もあった。それが5月下旬に同窓会の連絡があった。連絡は幹事からで、彼とは一時期、遊んだ仲だった。電話越しの彼の声と喋り方は、当時と変わってなかった。その電話で懐かしさの余り、1時間ほども話し込んでしまった。喉の渇きや喋り疲れも忘れ、過去や今、同窓会の大体の雰囲気など、彼は丁寧に話してくれた。そんな彼に応えたい想いが芽生えてきた。3度目の正直、これも何かの導きかもしれない。よし、会おうと!

30人は少ないかな?と思ったが、いざ行ってみると少数精鋭で大盛り上がり。嬉しかったのは、今の私に当時の愛称で呼んでくれた事だった。寄って来てくれる同級生が皆、当時の愛称で話し掛けてくれる。本当に懐かしく至高の一時だった。行くと言う選択は正解で、来てよかったと心から思った。
当時の私は女子と話すのが苦手だった。男友達ばかりの毎日であった。歳は取ってみるモノで、自分でも驚くほど女子達と会話が出来た。話した事も無い女子も、私を愛称で呼んでくれた。そう呼ばれていたのを何となく覚えてくれていたのだろう。この事も私のテンションを上げてくれた。
午後6時に乾杯し、2時間と言う会場の時間制限の中で大いに盛り上がり、会話は弾み、ビールを次々に注がれ、心地よい酔いがやってきた。幹事が卒業アルバムを持参し、それを各テーブルに回しながら見る。写真の同級生は皆15歳。目の前の同級生たちは50歳になった。皆、面影があるし崩れていない。変わった事と言えば、当時、小柄だった同級生の身長が伸びていた事だった。顔立ちも若い頃より今の方がイイんじゃないか?と正直に思った。

 

次回に続く!

 

 

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