横溝正史、松本清張、二人のミステリー大作家が一つの事件に魅了された。昭和13年、岡山県・津山市で起きた通称<津山事件>。
深夜から夜明けまでに、一人の人間が30人を殺し、最後は自ら自害して果てた有名過ぎる日本史上最悪の事件。この事件は日本と言う領域を飛び越え、アメリカにも伝わり、類稀な事件としてファイル保管されているのだそうだ。
2025年現在、事件から87年目となった今年。衰える事無く、世代を超えて語られ続けるのは何故なんだろうか?津山事件に関して、それなりに書籍を読み込んできた私なのだが、様々な作家が様々な切り口で論じ、語り、書いてきた。取り分け印象に残ったのは、この事件に魅了される要素があるとすれば、そこには人間心理の奥底にある<負のロマン>を刺激されるからではないか?
我々人間と言う動物は、平常心を継続させながら日々を過ごしている。だが、何処かで他者を憎み、傷付けてやりたいと言う欲求を抑えながら生活をしている。
津山事件は都井睦雄(とい むつお)と言う21歳の青年による戦略的な大量殺人事件だった。最終的に自分が死ぬ事から逆算し、どうやって村人30人を一人で殺せるかを知力を尽くして実行したゲーム、ある種の実験性の高い事件であったとも言える。事件が行われていたリアルタイムの最中、深夜、静まり返った村から聞こえてきた猟銃の音は、木の板を竹で叩いた様な乾いた音だったと言う。ズドンと言う音ではなく、リアルに聞こえた音は<カーン、カーン>と言う叩く様な音だった。
殺人の動機に関しては、今日まで様々な切り口、推測、憶測で解釈されてきた。村八分と言う、簡単に例えれば<仲間外れによる被害妄想>と言う見解が多い。仲間外れの要因は、結核と言う感染率の高い肺病を持っていたと言う事になっているが、松本清張の調べによると、必ずしも事実はそうではないと綴っている。都井がもしも本格的な肺病を患っているのなら、あの様な真夜中に駆け回り、山を上り下りする事自体が不可能であろうと矛盾を突いている。
都井睦夫は何かを切っ掛けに殺人鬼に変身したのではなく、事件以前から常軌を逸する奇行があり、生まれつきの性格異常者だったのではないかと解釈している。この解釈は、実際に取材を試みた記者としての清張の結論であった。
横溝正史が、もしも八つ墓村を書かなかったら?
横溝正史の原作・八つ墓村と言う作品は、津山事件をベースに創作された。知られた話だが、横溝正史は岡山県に滞在していた時期がある。年表を調べてみると、昭和24年に八つ墓村は雑誌で連載された。津山事件から11年後の事であり、昭和46年に書籍化され現在に至っている。
昭和42年。もう一人の大作家が津山事件に興味を持った。松本清張である。清張ほどの大作家が横溝正史の八つ墓村を知らない筈はなく、二番煎じを避ける為、敢えて小説と言う手段は避けた。その代わりと言っては何だが、清張は横溝とは違う視点で津山事件に着手した。物語ではなく、どんな事件であったのか事実を余す所なくリアルに掘り下げる取材と言う形式で文字にした。それが昭和42年八月から43年の四月まで週刊読売で連載された「ミステリーの系譜」と言う作品。ミステリーの系譜は75年に中公文庫から書籍化された。ちなみに私の生まれた年である。
このミステリーの系譜と言う本。流石に年代物と言う事情もあり、中々、街の本屋さんでは入手しにくく、見掛ける事も無かったので、通販で注文して読んでみた。まず一言。凄いと素直に感じた。清張の文章力の凄さ、精密さ、グロさに圧倒された。
正直に書くが、私は松本清張の作品を一冊も読んだ事が無い。ミステリーの大作家と言う認識はあっても手を出す事が無かった。それが何故、読む気になったのか?これはもう、彼が津山事件に関して書いていた事が全てだと説明するしかない。それだけが購入意欲になった。
読んだ限りで書かせて頂くと、清張は明かに、この津山事件を題材にした作品を書きたい衝動に駆られていたに違いない。だが出来なかった。出来ないのではなく、敢えて取り掛からなかったとも言える。横溝の後を追う事を避けたのである。そこで思う。もしも、横溝が八つ墓村を書かなかったら、清張が八つ墓村とは違う形の津山事件・物語を描いた可能性は十分に考えられる。
結果として、八つ墓村の人気が凄過ぎて、清張の書いたミステリーの系譜は目立つ作品では無かったかもしれない。だけども、この一冊は是非とも読んでみるべきだと思う。松本清張って、どんな文章を書くんだろう?難しくて読み辛かったらどうしよう?そんな人達にとって入門書となる事、間違い無しと言える内容だと思う。事実、私の中で松本清張への想いが開いた。次に読んでみたい作品を買った。読書の幅を広げたいと常々思っていたので、本当に喜ばしい事だ。
恐怖の本質を知っていた松本清張と言う偉人!
ミステリーの系譜と言う本は、三つの事件を取り上げている。津山事件は、闇に駆ける猟銃と言うタイトルで事件を振り返る。昭和13年とは、どのような時代であったのか、都会人には理解出来そうもない村の在り方とはどう言うものなのか、その村に住む人々は、どんな日常を送っているのか、こう言った所から清張は切り込んでいく。
そして、読者が一番知りたい犯人の都井睦雄(とい むつお)と言う20代の青年が、どんな人物だったのかを書き綴る。彼は思い付きの狂人ではなく緻密なグリーンベレー。例えれば俳優のシルベスター・スタローンが演じた映画「ランボー」の主人公だった。
都井睦雄は軍人に憧れ、戦争に行きたかった男だった。肺の持病で兵役をハブられた彼の怒りは、村人に向けられた。事件後、この事件から生還した村の駐在警官は、事件前の都井睦雄と会話をしていた事実があった事が記録に残っている。駐在所で茶を飲みながら都井と警官は雑談していた。都井は四つの大胆な計画を警官に話す。
1;まず、警官の貴方を殺し、村の情報網を遮断する。
2:連絡の機能をストップさせ、その上で村人を襲撃する。
3:当然、騒ぎは拡大し、応援の部隊が村に駆け付ける。その応援部隊が車で侵入するであろう入口の坂に障害物を置き、降りて来た応援部隊を一人ずつ猟銃で発砲し人数を減らしていく。
4:応援部隊が増えた頃合いを見計らって、自分は村にある家を使って籠城戦を展開させ、自分の死を持って終わらせる。
茶を飲みながら聞いていた警官は、リアル過ぎる彼の構想に笑っていいのか、怒ったらいいのか、複雑な心境だったらしい事を語っている。
村の最初の犠牲者は同居していた祖母だった事は有名だが、この場面の描写を容赦なく清張は綴る。例の有名な武装を整えた都井は、コタツに入って仰向けに寝ている祖母の顔を覗き込む。頭には例の懐中電灯が差してあり、光の反応で祖母の顔は横に向く。その祖母の首に都井は斧を振り下ろした。一回で切断されたのではなく、数回、振り下ろした。祖母の首は向かいの障子に向かって飛び、跳ね返って畳の上に転がった。その首の表情は口の端で布をかむ時の表情だったと描写する。判り易く書くと、顔の半分が引っ張られた様な表情になっていた。この後に続く惨劇も、こんなノリで清張の文章が綴られていく。
三つのタイトルが収録されている訳だが、その一つのタイトルの中に他の類似した事件を掘り下げており、これらも読み応えがある。人肉を食うカニバリズムの事件、一つの殺人事件に二人の犯人が現れたと言う奇怪な事件も取り上げている。
清張は、こんな事を残している。
「現在の我々の恐怖は、生首やぶら下がった血染めの片腕ではない。それはあくまで日常の生活から出発していなければならない。普段の心理から理解されなければならない」
これは深い言葉である。
つまり、この世に蔓延する猟奇事件の全ては、何気ない普遍な所から始まっている。生首もバラバラ殺人も降って湧いた訳ではなく、日常の中で端を発する事であると、松本清張は訴えているのである。


