一級品のオタク・山下達郎 | 何でもアル牢屋

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2021年7月4日、午後9時。ケーブルTVで御馴染みの日本映画専門チャンネルで、番組20周年&1000回記念と称し、1937年度作の日本映画「人情紙風船」を放送。その特別ゲスト&作品解説として、あのテレビに出ない山下達郎が登場!・・・こう書くと「え?達郎がテレビに出たの?」ってなるが、これが静止画像を3~4枚ほど使った音声出演と言う映像史上、前代未聞の珍しい放送になった。
放送時間は2時間チョイで、本編が1時間30分、達郎と司会者のトーク&映画解説は30分弱って所。音声のみの出演と言う事でリモートなのかと思いきや、しっかり収録会場も用意して現場にも来たらしい。放送を観た限りだと、見下ろし型の小さめのホールの様な感じで、壇上に司会者と達郎がテーブルを挟んで向かい合い、座ってトークしている。達郎の近くにはノートパソコンと人情紙風船の当時のパンフレットが置かれている。

この日本映画専門チャンネルでは定期的に役者を招いて、映画トークをする企画が組まれている。これまでに出演したゲストも大物ばかりで、高倉健、吉永小百合、石坂浩二など豪華な面々。司会役はフジテレビの名物アナ・軽部真一。

20周年&1000回記念ともなれば、どれほどの凄い役者がゲストで来るかと思いきや、やって来たのはミュージシャン・山下達郎だった。歴戦の並みいる役者達を差し置いて、これは破格の扱いと言ってもいい。
達郎と言えば音楽だが、映画との繫がりはどうかと言えば、無い事も無い。過去、映画の主題歌などで関わってきた実績を考慮すると、別に不自然なゲストでは無いのかもしれない。気になる出演の経緯は、司会の軽部と2001年から親交がある事が最初に説明され、軽部が仲人となって番組が口説き、達郎本人が「映像は駄目だけど音声だけなら」って事で出演が決まったらしい。

実の所、この出演の経緯を一番不思議に感じたのは、嫁さんの竹内まりやだったろうと思う。

竹内まりや 「え?テレビに出ないのにテレビの仕事、引き受けるの?意味ないじゃん」

山下達郎 「人情紙風船を語るって所に意味があるんだよ」

なんて言う会話が頭に浮かんでくるw

山下達郎と人情紙風船との出会いついて本人が語る所によると、80年代前半にブルータスと言う雑誌で、蓮實重彦と言う映画評論家がエッセイを連載していて、その記事に触発され興味を持ち、レンタルビデオ店に駆け込んで借りて観たのが切っ掛けらしい。
戦後の日本映画を観てると、ある事に気付くと言う。それは、必ず教訓めいた結末を迎える事で、観終わった後に引っ掛かる何かを感じたらしい。例えば黒澤明監督の超有名作「七人の侍」は、農民が勝利して終わる結末を迎える。達郎は、そこに納得のいかない違和感を感じたらしい。
一方、人情紙風船の見所として、昔ながらの日本、そこで生活を営む人々の姿。背景や風景。何気ない人々の仕草や置物などの<普遍的>な要素が素晴らしいと絶賛。自分が観たかった日本映画はコレだったんだと、戦前を描いた日本映画に目覚める。この達郎の言葉には「なるほどな」と思わせるモノがある。達郎は音楽作りの原点を<普遍性への拘り>と常日頃、語っている。つまり、人情紙風船に<普遍性>と言う共通点を見出したと解釈出来る。

「100%明るい人間、100%暗い人間とか、そんな極端な人間は存在しない。人は、その中間を生きている」

そう語った達郎。
司会の軽部から「日本映画を切っ掛けに音楽を作る事はあるのか?」と聞かれた達郎は「ありますね」と答えた。映画と音楽は近い関係だと語り、本を読むよりも映画の方が発想が膨らむのだそうだ。友人のミュージシャンの一人・鈴木雅之に提供した<おやすみロージー>が正にそうだったらしい。ある日本映画で聴いた台詞が頭に残り、おやすみロージーの詩に引用した事を告白。

「人には、人生にコレ一本と言う作品がある」と達郎は言う。誰かと話をする時、癖の様に<人生の一本>を聞く事にしている。すると、その人のバックグラウンドが見えて来るらしい。
テレビにも出ない。本も書かない。必要以上に露出しない山下達郎に根暗なイメージを浮かべる人って多いと思う。存在はメジャー級、だけど本人の心はB級と言う乖離した珍しいタイプであり、嫁の竹内まりやですら「私は芸能出身だけど、達郎はサブカルチャーの人」と言い切る。

要するに山下達郎は<一級品のオタク>なのである。