わぁ、ほんとに〜。
私はダサくて醜い自分に降参するのが早かったけど
今でも思うときはあって、
そんなときは、やっぱりココロから逃げずに
自分の味方でいようって
いつも思ってます
そんなときは、やっぱりココロから逃げずに
自分の味方でいようって
いつも思ってます
って、すごく共感。
私自身も、最近ようやく、自分の感情に蓋をしないことが少しずつできるようになってきたかな、
とは思うけど、
でも無意識のうちに、
「そんなことないよ」って自分で自分の感情に蓋をして終わらせようとすることがまだまだある。
それはこんなこととか⇩
「太ったな、顔丸い。醜いな」
とか、
「背中にもお尻にも肉がついてマジでデブ」
とか、
「人に嫉妬して醜いわ」
とか、
「汚い言葉で罵しる自分、ほんとやだ」
とか、
「遅刻しちゃう自分、やだなぁ」
とか、
「ネットサーフィンしまくってしまう自分やだ」
とか、
「本当の自分をsnsでさらけ出すのに未だにビクビクしてる自分がやだ」
とか、
「それみて引く人いるかなとかまだ他人の目線気にしてる自分がやだ」
「赤ちゃんの顔見て可愛いと思えなかったらどうしよう、愛せなかったらどうしようと思う自分がやだ」
とか…
なんかめちゃ出てきた!!笑
書くと出てくるねぇ。
まだまだこんなん。
旦那に相談すると、というか愚痴ると、
「そんなことないよ、大丈夫だよ」
と言ってくれるけど、
その時は、うんそうだよねって
少し打ち消してしまう…。
でも、旦那も旦那で他になんて言っていいかわからないよね。笑
たぶん、自分以外に言われたらムカつくよね。
旦那に
「本当お前ダメだよ」って言われたら。
うわ、そりゃムカつく笑
私のやり方としては、
やはり
ダメな自分、醜くて嫌いな自分、可愛くない自分に
とことん、浸る。
だから浸る。
どよーんって。
浸り続けると、
だんだん面倒くさくなるんだよね、
ダメダメ言ってどよーんって浸ってる自分に。
で、飽きる。
飽きるし疲れてくる。
そしたら、
もういっか、しょうがないじゃん
こう思ったんだから。
こうなんだから。
なんか文句あんの?
みたいな自分逆ギレ。笑
一人芝居だよね
「そんなことないよ」って蓋をして感情をみてあげないと、
ずっと根っこに残る。
自分の湧き上がったどんな感情を
見てあげるって、
難しいかもしれないけど、
自分を大事にしてあげてることだなぁって
思う。
だってそうすることで、
どよーんの自分に飽きて、
まっいっか
になったらさ、
また明るく、よーしっ♡ってなるなら
さっさと感情見た方が手っ取り早いよね。
てか、意外と単純だと思うんだよね。
どよーんの自分に浸って、
なんか疲れたわ、って、
YouTubeの面白動画みて、
ガハハハって笑ったら、
あれ、なんか楽しくなってきた…
パン屋でもいこっかな、みたいな。笑
以前の私は、ネガティヴ=悪い
ポジティブ=良い
ってしてたから、
本当、蓋して仮面ポジティブ女でした。
苦しかったしよく泣いてたわ。シャワー浴びながら泣いてた。笑
そしてネガティヴになってる自分が大嫌いだった。
別に今も好きではないけど、
でも、自分の喜怒哀楽の感情は、
残念ながら自分以外の何者でもない、自分なんだよなって気づいたら、ネガティヴな自分、嫌いだけど仕方ないじゃん、これも自分。って思えるようになったんだよね。
残念ながら人間なんだから感情があるから、
仕方ないよね。
人間に生まれてしまったんだから仕方ないよね。
と、人間に生まれたことを降参。笑
そしたら、
でも私、人間に生まれてよかったなって、
感情があるって、素晴らしいし、
美味しいもの食べて幸せって思えるの最高じゃない?
とか、だんだん人間に生まれたことに感謝がわいてきたりね。
なんか脱線したけど、
そんな、「私は全ての感情を受け入れることができます…
」なんて完璧な悟った人みたいになろうと言ってる訳ではないし、
」なんて完璧な悟った人みたいになろうと言ってる訳ではないし、少しずつね、実体験してけばいんだよね。
これもある意味、自分を愛することの
一つの特訓だよね。
追記
感情に浸って、消えたと思えて、それでも何度も同じことが湧き上がってくるとしたら、感情の根っこにあるものに気づくこと。が必要なんだよね。
私が未だによくあるのは、旦那が仕事仕事で夜遅くて怒ること。
その先の根っこ(ま、本音だよね)は、
「寂しいよ、かまってほしいよ。愛されてるの実感したいの」
とかね。
それは言いたかったら言うけど、
自分の中であ、これが怒りの元の本音かと
気づいたら、怒りは溶けていくんだ。
ある意味、感情は自分自身の周りにまとった皮を、むいていって身軽になっていく作業なんだ。