癌との共存 | プーの丘日記:詩への旅

プーの丘日記:詩への旅

古稀を境に前立腺癌(ステージ4)の手当てに専念し、葡萄の自然栽培から撤退することになりました。余生を詩を探す旅に出かけることにします。ジャンルは問いません。俳句からポップスまで。

 前立腺癌の手術(+骨を含む周辺の転移部分への放射線治療)から丸2年経ちました。PSA(癌マーカー)が0.00未満になってから半年になります。水泳を始めてから10ヶ月になりますが、これが決定的に功を奏していると思っています。精巣の摘出による男性ホルモンの喪失により、ホルモンバランスが完全に狂ってしまい、ホットフラッシュという副作用に定期的に不快になることを除けばいたって心身共に健康状態にあると言えるでしょう。同じ病気に罹って堪え難い苦しみや早すぎる死を迎えた知人、友人を思えば私は幸運と言わざるを得ない。悪質な場合は何をしても病状の好転を望めない場合が多い。死をありがたく受け入れるより他ない。

生の状態も仏性、死の状態も仏性
*「仏性とは大宇宙の真実と溶け合っている状態、またはその可能性」と私は理解している。

一切衆生、悉有仏性
*「宇宙全体のあらゆる存在は(鉱物も認識も含めて)仏性の中にある」とは道元の解釈。

過去も未来も今この瞬間にしかない。
だから今の有り様を今この時に観察理解に努め、
ジタバタせずに正確に実践すべきである。
ひたすらに今なすべきことに集中すべきである。
明日の死のことは誰にも分からない。
明日は明日の風が吹く。
*釈迦の言葉。私訳。
 
さて、そういうわけだから、私の癌にも存在理由があって、仏性を抱いて私の所へやって来たと考えよう。大事に仲良く付き合って行こう。ただ、再発を防ぐ抗がん剤の役割を果たす薬を提供されているが、副作用が気になり、2年目からは飲んだり飲まなかったりしているが、最近はほとんど飲まなくなっている。治療をするのは医者だが、治すのは本人だと心がけている。標準治療という現時点で最先端の治療を受けているが、心身の健康状態は本人がよく考察の上改善に努めなければならない。多忙な医師にそこまでは期待できない。ただ自己診断が浅く視野の狭い偏った情報に基くものであっても、それは自己責任として従容として現実を受け入れなければならない。
 このような考えに染まってくると、全ては仏性を保ちながら緊密に結びついているのが分かる。何一つとして個々には存在し得ない。たとえば、私が栽培していた葡萄の一粒一粒にしてからが、この星だけではなく、大宇宙の中で生かされ育てられてきたのである。草の一本一本、鳥やミミズの糞、雨風、日光月光、意識の届かぬ銀河系の星々、人間の存在、などなど全てが間接直接にこの一粒の葡萄の仏性を現出させたのである。私はこれを奇跡と呼びたい。今は無きプーの丘で私は気づかないで奇跡だらけの玉手箱の中で農作業に従事していたということになる。