初候:「款冬華」(ふきのはな、さく)
*雪解けを待たずに顔を出す春の使者だが、大分市では雪が
ほとんど降らず、蕗の薹を見つけるのは不可能に近い。
次候:「水沢腹堅」(さわみず、こおりつめる)
*池も凍るような沢水も余程山奥に行かないと見つからない。
末候:「雞始乳」(にわとり、はじめてとやにつく)とや=鳥小屋
* いち早く春の気配を感じ雞・にわとりは卵を産み始める。
いつ頃からケージ飼育になり一年中卵を産み続けるようにな
ったのだろう。
てなわけで、季節を実感できないまま俳句作りも諦めていた。思い出の引き出しから頭で作句するのも面白くない。俳句はやはり実体験
がないとね。例:
1 いくたびも雪の深さを尋ねけり (子規)
2 古池や蛙飛び込む水の音
3 五月雨や大河を前に家二軒 (蕪村)
4 うしろ姿のしぐれてゆくか (山頭火)
5 海が少し見える小さい窓一つもつ (放哉)
6 咳をしても一人 (放哉)
7 霜とけ鳥光る (放哉)
*自由律俳句も良いですね。
季語を活かすか、季語に振り回されるかが問題。
かくして、大寒らしい季節感を感じることもなく、節分を
迎えることになりました。
写真は柏の葉。新芽が出るまで枝にしがみついて冬を越す(大分駅前)。
大寒の終わりに:
柏の葉枯れても枯れず我が心 (まろ)