「大寒」の終わり | プーの丘日記:詩への旅

プーの丘日記:詩への旅

古稀を境に前立腺癌(ステージ4)の手当てに専念し、葡萄の自然栽培から撤退することになりました。余生を詩を探す旅に出かけることにします。ジャンルは問いません。俳句からポップスまで。

 初候:「款冬華」(ふきのはな、さく)

   *雪解けを待たずに顔を出す春の使者だが、大分市では雪が

    ほとんど降らず、蕗の薹を見つけるのは不可能に近い。

 次候:「水沢腹堅」(さわみず、こおりつめる)

   *池も凍るような沢水も余程山奥に行かないと見つからない。

 末候:「雞始乳」(にわとり、はじめてとやにつく)とや=鳥小屋

   * いち早く春の気配を感じ雞・にわとりは卵を産み始める。

    いつ頃からケージ飼育になり一年中卵を産み続けるようにな

    ったのだろう。

 てなわけで、季節を実感できないまま俳句作りも諦めていた。思い出の引き出しから頭で作句するのも面白くない。俳句はやはり実体験

がないとね。例:

 

1 いくたびも雪の深さを尋ねけり      (子規)

2 古池や蛙飛び込む水の音

3 五月雨や大河を前に家二軒       (蕪村)

4 うしろ姿のしぐれてゆくか       (山頭火)

5 海が少し見える小さい窓一つもつ    (放哉)

6 咳をしても一人            (放哉)

7 霜とけ鳥光る             (放哉)

 

 *自由律俳句も良いですね。

  季語を活かすか、季語に振り回されるかが問題。

 

 かくして、大寒らしい季節感を感じることもなく、節分を

迎えることになりました。

 

写真は柏の葉。新芽が出るまで枝にしがみついて冬を越す(大分駅前)。

 

大寒の終わりに:

 

柏の葉枯れても枯れず我が心   (まろ)