日記を書いてみようかな… -3ページ目

日記を書いてみようかな…

自分の備忘録を目的に日常を書いてみたいと思います。人が読んで楽しい日記は、ハードル高いので目指しません(笑)。

今年届いた年賀状を整理していて、「そういえばユウコさんから来ていない」と気付いたのは1月10日の事でした。毎年海外で年越しをしていても必ず元旦には年賀状が届いていたのに、どうしたんだろう?と思っていた矢先、お父様の名ではがきが届きました。

 

「ユウコに年賀状を下さった方々へ。ユウコは昨年1月末に癌を発病し、地元博多に戻って闘病生活を送っておりましたが、10月30日永眠いたしました」

 

ショックでした。去年の1月といえば8日に会ったのに。あの直後に発病したんだ…。 ユウコさんと一緒に撮った写真を慌てて引っ張り出し、いただいたミサンガを握りしめて私は泣きました。まさかこれが遺品になるなんて。かけがえのない記念の写真になるなんて。

 

そういえば、去年の春ごろ、ユウコさんから「転職のご挨拶」というメールが届いたっけ。添乗員を辞め、旅行企画の方へ回るという挨拶でしたが、あれほど添乗業務に誇りを持って、人との出会いを楽しんでいたのに何故?と思ったものの、深くは考えていませんでした。

 

「新天地で頑張ってくださいね」とメールをしましたが、あの時、マンションを引き払って博多へ戻っていたのかもしれません。ユウコさんからは返信がきませんでしたが、忙しい時にはそういうこともあったし、フェイスブックでは詳しい報告をしているのかも(私はやってないのでわからないのです)と呑気に考えていました。ユウコさんはどんな気持ちであのメールを送ってくれたんだろう…。

 

毎年、ユウコさんの誕生日には欠かさずメールをしてきたのに、去年に限って1日外出中で、そのまま忘れてしまったのも悔やまれました。「今度」がまたあると思っていたのに…。

 

せめてお誕生日メールをしていたら何か変わっていたのかな?ちゃんとお別れを言えたんだろうか?いや、そこで真実を聞かされても苦しいだけでどうしようもなかったのかな。それとも気持ちの区切りはついたのかな?

答えの出ないもやもやがずっと続いています。

 

破天荒で、長生きするタイプだとは思っていなかったけれど、でもまさかこんな急に逝ってしまうとは思っていませんでした。ユウコさんとの出会いが私にとってどれだけ大きかったか、どんなに救われたか、どれだけ感謝しているかを伝えられないまま、ユウコさんは逝ってしまいました。