私は純ちゃんの時(「もうつの転機その1~」))もユウコさんの時も、大好きな友人を喪って何よりも自分が寂しい、悲しいと苦しみました。が、母はどうやらそういう感情を持っていないようなのです。
というのは、母だって親友を何人かは亡くしているのですが、「早くに亡くなって気の毒よね」「まだやりたいことあっただろうに可哀そうにねえ」など、『自分はどう思う』ではなく、第三者的な視点で「人生が終わっちゃって気の毒に」と嘆いている…何となく上から目線だからです。
これは別に認知症になる以前の若い頃からそうでした。
一番印象に残っているのは、私の従弟が20歳で亡くなった年のことです。
私の実家では近くに住む母の弟一家とともに正月を祝ってきました。
24年前の7月、その叔父一家の次男が交通事故のため20歳で永眠しました。若くして亡くなる事の酷さ。突然、命が終わってしまう儚さ。そして、叔母の狂ったような悲しみ。二度と戻ってこない命。悔いても悔いても取り返しがつかない事。従弟の死は私たちにも大きな心の傷を残し、遺された者の苦しみも胸に響きました。
が、その年の12月。母が呑気な声で電話をかけてきたのです。
母「そろそろお正月の準備をしないとね~。アキ(叔父)達は何時に来るかしら?」
耳を疑いました。従弟の葬儀からまだ4ヵ月過ぎたばかり。私が叔母だったら、集まりに出かける気など起きないでしょう。
私「今度のお正月は来ないでしょ?当たり前じゃないの」
母「え?なんで?」
私「なんでって…(呆)。喪中でしょ?」
母「うちは一族クリスチャンよ。喪中なんて関係ないわよ!」
は????
私「宗教がどうとかじゃなくて、正月を祝う気にならないでしょ?」
母「なんで?それとこれは関係ないでしょ。」
私「想像してごらんよ。お母さんだってジンが亡くなったら正月なんてやらないでしょ?」
母「やるわよ。決められていることだもん。何の問題があるわけ?」
…話にならない、と思いました。母は人と共感することがあまりなく、想像力も欠落しているとは思ってましたが、ここまでとは。
その人の立場に立って見ればわかるはずなのに、母の中には「長男一家が遂行すべきこと」「喪中は仏教行事。クリスチャンには関係ない」という建前が先に立ち、厳しい指導者の『上から目線』になってしまうのです。
ユウコさんとの別れに悲しむ私に共感してくれないのも当たり前。ずっとずっと母は一貫してこういう人だったのですから…。
