一般質問当日。
午前に数回
母の施設から電話がよく鳴り
お昼休みと
一般質問を終えた後に聞いた。
母の体調が
また急に悪くなった。

先月か先々月のいつだか
車椅子で食堂へごはんを食べに行った帰りに
お部屋に倒れていたようで
その後から痛そうにしていると電話があり
(本人イタイとはもう言えないそうで
でもどう見ても痛そうとのこと)
病院へ行ってもいいですか?という
施設の看護師さんからの電話。
たしか
肋骨が折れていたとのことだった。
あれから1ヶ月ほど。
先週27日に
ごはんが急に食べられなくなり
昨夜から38度の発熱があるとのことで
今日また病院へ来ているとのこと。
そうしたら
“酸素が低下している”という理由で入院。
つまり、施設は退所。
弟に
「そろそろかもしれないね…」
というメッセージをしていた日中。
夜に電話で話すうちに
看護師さんから“延命治療”という言葉が出た。
それを聞いたら
急にいろんな想いが込み上げ
涙が止まらなくなった。
私は
できることはもう全部した。
20代は母に費やし
絶対治してあげる!!と思っていた。
仕事も辞め
母と2人暮らしをした。
急に良くなった時に
バスでの旅とか近場でのお花見とか
色々と行けて嬉しかった。
ミラノへ行くことを決めたら
母は数日困っていたけれど送り出してくれた。
そこからは
やはり父とのいざこざで
また気持ちと身体は落ちていき
2年半前の事件があり
名古屋へトンボ帰りして付き添い
再び精神科病院に入り
老健という施設へ入り今に至る。
老健では
専属のお医者さんが出せる薬以外は
処方されないとのことで
いつの間にか精神薬は断薬していた。
それを1年くらいして聞いて
よかったよかったとは思っていた。
ただ
施設に入ってからは
母はほとんど話さなくなっていて
会話をしたのは最後いつだったかな。
孫たちのお顔もほとんど見られず
面会に行っても3分で帰された。
きっと今は
精神薬などと妬みのエネルギーで
蝕まれた身体がもう限界に来ているのだろう。
私はきっと
母はまた
きっと母のことだからまた
元気になっていくのではと
期待していたのだと気づいた。
元気になった母と
また話したいと思っていた。
それがきっともう
叶わないということと
母はこの40年間
何回幸せだと思えたのだろうかと考えたら
涙が止まらない、今も。

父とも何回か電話をした。
「わしのせいで
お母さんを可哀想なことにしてしまった」
と何度も言っていた。
2人とも
動けなくなってきて
ようやく腑に落ちてきたのだろうか。
母の怨念は
父の潜在意識をも書き換えた。
あと20年くらい早かったら
まだまだ治っていただろうし
母らしさを取り戻せていただろう。
父にも
そのためにも父自身が
好きなことをして
好きなことを好きと言って
母と正直に対話をして
と言ってきたが伝わらなかった。
それは今でもよくわからない。

私はたぶん後悔はない。
母というひとが
こんなに近くで見せてくれた
この社会の深い闇とキラキラな美しさを
大きすぎる人間の営みや世界観を
どう扱って良いのか
どう処理していいのか
分からないままでいる。
