先週の金曜日は
まんまる助産院の安産がっこうのプログラムのひとつ
「安産のためのママと赤ちゃんの栄養学」を受講し、
(まんまるで出産するには全受講が必須とのこと)
高たんぱく低糖質の食事療法の必要さを聞いた。
翌日の土曜日には
ジャスミンカフェにて長岡式酵素玄米の講習会に参加し
山里に住む仙人のような新井氏により
酵素玄米の宇宙的な完璧さを説かれた。
まんまるで聞く肉食は
聞いてはいたけれど想像以上で、
タンパク質を一日75グラム摂るために
牛肉420グラムとか
たまご9個とか
鉄分を一日20ミリグラム摂るために
鰹のタタキ1キロとか
ほうれん草1キロとか
普通の食生活では非日常的な数値が出されていて
それはもはや
無理とか食べられないとかいう域を超えて
ヒトとして
生きものとして
食物連鎖の一員としてどうなの?という
倫理的思想から来る疑問が投げつけられる。
論理的には
提示されている意味は分かるし
各食品の栄養素量もここ数十年で激減しているのも分かるが
やはり疑問は疑問だ。
てことで
プロテインを飲んでねとかサプリを飲んでねとか
栄養指導も入り交じった講義であった。
これにももちろん
まんまる助産院のまりこさんやその他の助産師さんが
今の妊娠出産適齢期の日本人女性たちが
各々が望むような安産のかたちを探求していったら
ここに辿り着いたという
長年かけて試行錯誤してきた結果。
生きものの本質を紐解き
何百年先の未来にいのちを繋げていくサステナビリティを
まんまる的に見出だしたツールとも言え
そこには
まりこさんたちの魂からの願いが強く込められている。
それにしても意外だったのは、
疑問が投げつけられたという私でも
今回妊娠してつわりが来た期間は
見事にお肉類が異常に食べたくなり
お米がどうしても気持ち悪くて食べられなかったという感じ。
なるほどなぁと。
でね、
なぜ高たんぱく食が必要かというと
妊娠期、出産前の妊婦さん、そして生まれてくる赤ちゃんは
糖質代謝が衰退し
ケトン体代謝が優位になるという。
これについては
ムスコくんが1歳ちょっとの時に
まんまるではなく
他の産院の先生が書かれた本のタイトルにあり
読んではいないものの
とても興味をそそられるものだったことを思い出した。
なぜなら
10年前に糖尿病を食で予防する研究をする学生だった時
身体がケトン体代謝に傾く場合は
極度の飢餓状態にあるということを
教科書的にも学んでいたし
実際に友人が扱っていた絶食マウスを見ていてもそうで
ケトン体代謝=身に危険を生じるほどの飢餓状態
という認識があったからだ。
よほど食べていない状態ということであり、
有り難いことに
今の私にはほぼ考えられないような事態なので
自分に置き換えて考えたことがなかった。
でもよくよく思い出してみると
日本の妊婦検査では通常測定しないが
ミラノで妊婦検査を受けていた時に
尿中ケトン体を測定する項目が一般的にあり
毎回毎回++が出ていて
私は相当な飢餓なのか?!と
ぎょっとしていたことがあったものだ。
それにしてはとっても健康な妊婦だったし
妊娠期だけでなく出産もすごくすごーく幸せだったし
なんの支障もなかったのになぁと思っていた。
今落ち着いて考えてみると
まんまるでの講義によれば
やっぱりそれはとても健全な状態だと考えられる。
また
なぜ妊婦さんや赤ちゃんはケトン体代謝優位なのか?
こんなに糖質代謝が優位に働いているのになぜ?という疑問を
講師のあすみさんに聞いたところ
人間は本来
狩猟採取をして長年生き延びてきた歴史があるから
とのこと。
類人猿がホモ・サピエンスに進化したのは
狩猟を始めたからという進化論的背景があると。ふむ。
ヒトの歯1本1本は穀採食に適した役割を担っていて
肉を噛むものではないのだという玄米採食論者と
まるで意見が違うが、まぁいろんな見解があっていいだろう。
農耕民族となった頃から
人間の食べるものは劇的に多様になり
それに伴って
消化・吸収・代謝・排泄・免疫機能に至る過程で
様々なシステムを獲得し
体得してきたと考えられているというわけ。
で、
妊娠して出産する時の女性の身体や
生まれてきた赤ちゃんの身体は
本来ヒトが優位にあるはずのケトン体代謝によって
エネルギー産生されていると考えられるんだって。
数年前に見た産科医著者の本のタイトルや
ミラノでの自分自身の代謝の様子を振り返ると
それも一理ありそうだと身をもって納得できた。
そんなこんななアタマとカラダで一日を終え
友人に誘われて翌日迎えた酵素玄米の講習会では
今度は
玄米採食の極みとなるお話がメインの内容だった。
人間はいつの間にか
野生の動物たちから離れた暮らしをし
エネルギー体としてのものを食するのではなく
モノだけを食べる習慣が付いてしまったがために
肉も魚も卵も精製してカスになったものも
いくら食べても足りなくて
様々な疾患を引き起こし
こころもからだも不健康になり
自分を生きることを失ってしまったというお話。
食業界の中で
方向性を180度転換させた後の私のここ数年では
とてもよく聞いてきた内容であり
話す人それぞれの視点は少しずつ違えど
私はどちらかというとこういうお話の方が好き。
ただ
玄米採食や厳格なマクロビや
ヴィーガンの食べ方に捉われてはいなくて
いろんなものを頂く度に自分自身の感覚に従い
「自分自身を生きる食」というものを自分なりに実験したり
日々実践することによって
どんどん自分らしさの軸が太くなり
あらゆる方向へブレることへの
融通さを得られるようになってきた。
それがとても心地よくて自分らしくて
なんともいえない至福を感じるため
やっぱり私はこれが好きだということ。
この日の新井氏も再三お話しされていたことには、
酵素玄米の作り方をただ真似するだけで
心ここにあらずで調理したり食したりしたって
自分を生きることにはならない、
この話の真髄はそこにあるのではなく
この酵素玄米がほんとうに美味しいと感じるのなら
まずは続けて実践してみてほしいということ。
新井氏の魂からの叫びがなんども聴こえた。
まんまるの助産師さんたちと同様にして
新井氏のサステナビリティのツールがここにあるのである。
そして私もこれには同感。
メソッドを伝えるのはもうお仕舞いにして、
自分の体感、想い、自分らしさとはなにかを大事にした
地に足ついた自分なりの軸で選択していく方が
遥かにしあわせな生き方だと思っている。
肉食でも採食でも
体感を伴った心地好さでもって良しと感じるのなら
どちらを選ぶもひとりひとりの自由だが
それはほんとうに身体の奥から滲み出る心地好さなのか
ふわふわきゃあきゃあしたものではなく
その心地好さに「はぁ~わたしってこれだなぁ」と感じるのかを
やっぱり大切にしたい。
そもそもだってさ
すべてのいのちに感謝しながらいただいていることに
なんの優劣もないでしょう?
でもこの日の夜は
なんだか身体がむくむくと浮いている状態で
自分の身体なのになにも感じない
自分が何を食べたいと感じているのかわからない
そんな感覚がなんだかとても不安で小気味悪かった。
それはきっと、
これまでにも
本当に多くの「肉採食論争」に出くわしてきて
その都度その都度
わたしの中の食べ方が構築されてきた経緯があり
もうその論争にきっと私は巻き込まれないと
やや確信に近い信条に立っていると思っていただけに、
妊娠して、短期間のうちに身体ががらりと変化して
またまたぐわんぐわんと揺さぶられることになった。
わたしが私自身に、極度に落胆したのだろう。
私でもこんななのだから
食に興味がなかったり
生き方そのものに興味がなかったりする人にとっては
とても過酷なものだろうと想像がつく。
ひと息つくためにシャワーを浴びていたら
自ずと落ち着き整ってきた。
どちらの主張も
彼ら彼女らの魂からの声を表現するもので
どちらも真理であり
わたしはその両者ともがとっても素敵だと思う。
どちらも、尊敬に値するものである。
だが
どの想いもすべて尊くて素晴らしいと思うからこそ
どちらかがどちらか一方をハナから排除する考えは私は苦手だ。
排除する思考が回り始めた途端に
どちらの尊い主張も
どちらの尊い真実も
悲しみや憎しみを生む源になっていく。
悲しみや憎しみの感情が悪だと言っているわけではなく
始めから歩みも寄らずに排除するのは
せっかくヒトに備わった
話し合いでのコミュニケーション能力が勿体ないということ。
ヒトとして、ナンセンスだと感じる。
だからやっぱり
私はわたしの心地好い食べ方を俯瞰しながら選び
わたしをわたし足らしめていこう、と思った。
さらに最近思うのは
こういう語り合いを自分の内側だけじゃなくて
わたしではない別の人と交わしたい。
正しいとか違うとか
いいとか悪いとか
そんな枠組みは優に飛び越えて
もっともっと興味深い見識が
そこからどんどん湧き出てくる気がしている。
付き合ってくださる方、ぜひメッセージください(*´-`)






