組織の中で
「じぶんらしく」在るということは
どういうことだろう
一人ではなく
「みんなで」創り上げていくということは
どこまでオリジナリティを
妥協すればいいのだろう
わたしであることより
「公人として」在ることは
どの場面でどこ範囲まで
優先するべきなのだろう
非の打ち所がない完璧さを
「だれがどこまで」必要としているのだろう
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240608/18/marmarinn/ae/35/j/o0810108015448989790.jpg?caw=800)
1時間の一般質問の内容を
手分けをしてつくっていく過程は
タイトなスケジュールでほんとうに大変だが
ほんとうに面白くて好き。
ひとりで作った稚拙な原稿を
色々な方々が推敲してくれて
中身の分厚いものに仕上がっていく。
様々な視点が盛り込まれ
私を含めた何人ものひとの想いが
私を通じて公開され世に放たれる。
想いが具現化するまでに
どれだけ時間がかかろうが
ここに貢献できていることが
何より嬉しいし誇りに思う。
これは
私の心地好さに直結している気がしている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240608/18/marmarinn/46/a3/j/o0800108015448989797.jpg?caw=800)
ただそれが
みんなが「良かったね、成功だったね」と
思えるものばかりではない。
どうしても準備しきれなくて
みんなの同意をもらう前に
良かれと思って私が付け加えたいくつかに
「言って欲しくなかった」ことがあった。
良かれと思って行動したことが
一緒に活動するメンバーを傷つけることに
とても申し訳無さを感じ
私もまた深く傷ついている。
感情の統合が追いつかない。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240608/18/marmarinn/66/aa/j/o1080080015448989812.jpg?caw=800)
この活動を始めて1年が経ち
その前から数えると
そろそろ2年になるが
こういうことがとても多くなった。
誰かを傷つけるのが怖くなり
自分が傷つくのが怖くなる。
そのために予防線が太くなっていくが
それでいいのかと
また更に自分に問いたくなる。
これもそれも含めたものを
共同創造というのだろうか。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240608/18/marmarinn/60/03/j/o0800108015448989832.jpg?caw=800)
これは求めていた
心地好さというのだろうか。
なんか違う気がしている。
これは
この分野特有のものなのだろうか。
なんか違う気がしている。
でも前に進もう。
対話を重ねよう。
舞台が大きければ大きいほど
闇も大きくなるだろう。
見られる景色は
ひときわ美しいのかもしれない。
私はそれを
生涯かけて求め続けるのかもしれない。