おはようございます。まるマリンです。


どこから手をつけていいのか、全く分からなかった状況から、少しずつ、一つずつことを終え、日常が戻ってきたように感じます。



義母が亡くなって、葬儀の準備や諸々の連絡をしているとき、いろんな方から言葉をかけていただきました。



3年前に実父が亡くなったときも、たくさんの方からお声をかけていただきました。

心温まり思わず涙してしまうもの、または形式的な印象を持つものまで、さまざまありました。


その頃、私はすでに『てがみ屋』を始める思いでいたのですが、そのときの経験から、より一層、『想いを言葉にして届ける』ことをしてみたいと決意したことを思い出します。


図らずとも、今度は違う別れでその想いを感じています。


しばらく、そのエピソードを書き記したいと思います。




〜実母から義父への手紙


『何かあったらすぐ連絡するように』


私の母はずっと岩手に生活していて、その土地の習慣で生きている。嫁ぎ先の両親に何かあったら、すぐに一報を入れるように、と口酸っぱく言われていた。


義母が緊急搬送されたその日の夜に、私は実母に電話を入れた。

あくまでも現時点での報告で、その後、まさかこのようなことになるとは、私自身も思ってもいない状態での連絡だった。



思いがけない展開となってしまい、葬儀は生前からの義母の意思のとおり、家族葬で行うことになった。

私の母は「自分は遠方で、年齢的にも葬儀に参列できないから、代わりに息子(まるマリンの実兄)を行かせる」と言った。

母の知っている常識ではそうなのだ。


私は家族葬である旨を伝え、丁重にお断りをした。お香典等も辞退すると伝えると、せめて花だけでもと言われ、加えて義父に手紙を書きたいと言った。


長年連れ添った妻(夫)を亡くした哀しみはどれほどのものなのか。

同じ気持ちを味わった者にしかできないことがあるだろう。


私は花の手配を承った旨と、手紙をもらったら義父は励みになり、喜ぶだろうと付け加えた。



義妹は、急遽駆けつけた後、そのまま義父と一緒に長く居てくれたので、とても助かった。

事務的なことはいくらでも代われるが、義父の心の隙間を埋めるのは私では力不足だ。


ほどなく義妹から、私の母からお手紙が届いたという言葉があった。


出かけようと思っていたところに手紙が届いて、そのまま家に戻り、玄関で手紙を読み、義父と2人で涙したと言っていた。


後日、届いた手紙を読んでほしいと言われ、私も目にすることになった。




実母の手紙は、家族を失った悲しみ、痛み、苦しさを、経験者として寄り添う内容から始まった。


私が印象に残ったのは『去った人を思い出し、涙することを我慢しなくていい』というところだった。


そして『そうやって偲ぶことが、1番の供養になると、私は信じます』と結んであった。


書いてあることは、母の体験から出てきた、嘘偽りもない「本心」なのだ。

最愛の人を想い、後悔することも、淋しくて涙することも我慢しなくていい。それがその人の供養になる。

これは今、暗闇の中にいる人にとって、どんなにか心が救われる言葉だろうか。


母は『思います』ではなく『信じます』という言葉を選んでいた。

なんと力強い言葉だろう。


哀しみに明け暮れる毎日を、後ろめたく感じる必要などない。『そうだ』と言い切ることなく、『思います』と伝えるでもなく、『信じます』という言葉には、母の意思と思いやりが込められているように感じた。



義妹は、私にLINEでこう伝えてきた。


『お母様のお手紙の件、ありがとうございます。

大変心温まる長い丁寧なお手紙で、私は失礼ながら、あまりお会いした事がない方なのに、いつも側に寄り添ってくれていた方のように感じました。本当にありがとうございます。』


私の母の想いは届いたと思う。


元祖「てがみ屋」は母なりかな。