おはようございます。まるマリンです。


これは、義母が亡くなる前に書いていたものです。

いままさに感じていることを、映画の感想としていました。


***************************


新しい仕事が始まり、私の日常は一転した。


リラックスし、好きなことだけしていた日々は過ぎ去った。頭の中は新しく覚えることでいっぱい。

眠りも浅く、疲れているのにすぐ目が覚めてしまう。環境に慣れていないことから常に緊張している。

休日ですら、どこか焦燥感に駆られている自分がいる。


時間のやりくりもまだ上手くできず、ブログの更新も、毎日のように練習していたピアノも弾けずじまい(T ^ T)


現在の状況になることは自分で選択したことで、仕事に慣れるまでの辛抱だと思いながらも、つい先日まで慣れ親しんでいた『昔の日常』を懐かしんでしまう。


私は今、毎日の生活が、『非日常』なのだ。


心も体も穏やかな時を過ごしたい…

生きるって何なんだろう…

そう思ったとき、この映画を見てみたいと思った。


『PERFECT DAYS』


主役はこの作品で、カンヌ国際映画祭 最優秀男優賞を受賞した役所広司。


ネタバレありなので、映画を見たい方はここまでで🖐️


役所広司演じる主人公の平山は、東京都のトイレ清掃員。

彼の生活は、判で押したような毎日。ルーティン化された日々が同じように過ぎていく。


朝、外を掃く竹ぼうきの音で目覚め、素早く布団を畳む。


歯を磨き、髭を整え、缶コーヒーを自販機で買い、清掃用具の入ったワゴン車に乗り込む。

出勤のお供は、古い洋楽のカセット。


真剣にトイレを清掃する。その姿はまるで職人のよう。

途中に訪れる利用者が無礼だとしても、扱いが冷たかったとしても、怒ることも文句を言うこともない。


帰宅後は銭湯に行き、馴染みの店で食事をする。

帰宅後、布団の中で読書をしていると睡魔が襲い、眠りにつく。


この工程を、映画は丁寧に、丁寧に描く。


一見すると何の変化もない、特別なことも起こらない、刺激のない平坦に見える生活。


しかし、平山は幸せそうなのだ。


今、私の日常がスリリングだけに

(・_・;平山の生活が、とても贅沢に映った。


平山の生活は雑ではない。丁寧なのだ。

平山の生活はゆとりがある。豊かなのだ。


でも、同じように見える毎日でも決して同じではない。


彼は朝、扉を開けたとき、必ず上を見上げていた。

晴れの日も、雨の日も、必ず上を見ていた。


彼の目に映る、空、光、または風や空気は、いつだって同じものはないのだ。



平凡な毎日はつまらない、と思っていた自分がいた。

人は刺激的で、輝かしいものに憧れるものだ。


でも穏やかな『凪』こそが、尊く贅沢なものだ、と感じるようになった。

これは、歳のせい?(^◇^;)

今の自分の環境のせい?


そしてその凪には、時折、波を起こす風が吹く。


日々の生活に訪れるちょっとした変化。

同じように見えて、同じ日は一つとしてない。


迷子になってトイレで泣いていた子が、助けた平山に最後に可愛らしく手を振る。


若い同僚の憧れの女の子が、平山の70年代のカセットに興味を持つ。


姪っ子が、突然、平山を慕って尋ねてくる。


いきつけのスナックのママの、過去の事情を知る。



そして、その風が通り過ぎると、また穏やかな日々がやってくる。


そうだ。

日常こそが尊いのだ。

日常こそが最高の贅沢なのだ。



映画を見た翌日の、緊張の中での出勤。

家から出たとき、私は地面ではなく、映画の平山のように顔を上に上げてみる。


そこには、まだまだたくさん花を揃えた桜が咲いていた。





明日もまた、顔を上に上げてみよう。その光景は同じように見えても、今日とは違う景色なのだ。


日常は同じように見えて、決して同じ日はない。

今日を大切に生きよう。