おはようございます。まるマリンです。
これは、義母が亡くなる前に書いていたものです。
いままさに感じていることを、映画の感想としていました。
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新しい仕事が始まり、私の日常は一転した。
リラックスし、好きなことだけしていた日々は過ぎ去った。頭の中は新しく覚えることでいっぱい。
眠りも浅く、疲れているのにすぐ目が覚めてしまう。環境に慣れていないことから常に緊張している。
休日ですら、どこか焦燥感に駆られている自分がいる。
時間のやりくりもまだ上手くできず、ブログの更新も、毎日のように練習していたピアノも弾けずじまい(T ^ T)
現在の状況になることは自分で選択したことで、仕事に慣れるまでの辛抱だと思いながらも、つい先日まで慣れ親しんでいた『昔の日常』を懐かしんでしまう。
私は今、毎日の生活が、『非日常』なのだ。
心も体も穏やかな時を過ごしたい…
生きるって何なんだろう…
そう思ったとき、この映画を見てみたいと思った。
『PERFECT DAYS』
主役はこの作品で、カンヌ国際映画祭 最優秀男優賞を受賞した役所広司。
ネタバレありなので、映画を見たい方はここまでで🖐️
役所広司演じる主人公の平山は、東京都のトイレ清掃員。
彼の生活は、判で押したような毎日。ルーティン化された日々が同じように過ぎていく。
朝、外を掃く竹ぼうきの音で目覚め、素早く布団を畳む。
歯を磨き、髭を整え、缶コーヒーを自販機で買い、清掃用具の入ったワゴン車に乗り込む。
出勤のお供は、古い洋楽のカセット。
真剣にトイレを清掃する。その姿はまるで職人のよう。
途中に訪れる利用者が無礼だとしても、扱いが冷たかったとしても、怒ることも文句を言うこともない。
帰宅後は銭湯に行き、馴染みの店で食事をする。
帰宅後、布団の中で読書をしていると睡魔が襲い、眠りにつく。
この工程を、映画は丁寧に、丁寧に描く。
一見すると何の変化もない、特別なことも起こらない、刺激のない平坦に見える生活。
しかし、平山は幸せそうなのだ。
今、私の日常がスリリングだけに
(・_・;平山の生活が、とても贅沢に映った。
平山の生活は雑ではない。丁寧なのだ。
平山の生活はゆとりがある。豊かなのだ。
でも、同じように見える毎日でも決して同じではない。
彼は朝、扉を開けたとき、必ず上を見上げていた。
晴れの日も、雨の日も、必ず上を見ていた。
彼の目に映る、空、光、または風や空気は、いつだって同じものはないのだ。
平凡な毎日はつまらない、と思っていた自分がいた。
人は刺激的で、輝かしいものに憧れるものだ。
でも穏やかな『凪』こそが、尊く贅沢なものだ、と感じるようになった。
これは、歳のせい?(^◇^;)
今の自分の環境のせい?
そしてその凪には、時折、波を起こす風が吹く。
日々の生活に訪れるちょっとした変化。
同じように見えて、同じ日は一つとしてない。
迷子になってトイレで泣いていた子が、助けた平山に最後に可愛らしく手を振る。
若い同僚の憧れの女の子が、平山の70年代のカセットに興味を持つ。
姪っ子が、突然、平山を慕って尋ねてくる。
いきつけのスナックのママの、過去の事情を知る。
そして、その風が通り過ぎると、また穏やかな日々がやってくる。
そうだ。
日常こそが尊いのだ。
日常こそが最高の贅沢なのだ。
映画を見た翌日の、緊張の中での出勤。
家から出たとき、私は地面ではなく、映画の平山のように顔を上に上げてみる。
そこには、まだまだたくさん花を揃えた桜が咲いていた。
明日もまた、顔を上に上げてみよう。その光景は同じように見えても、今日とは違う景色なのだ。
日常は同じように見えて、決して同じ日はない。
今日を大切に生きよう。