お久しぶりぶりです。まるマリンです。
長らくブログから遠ざかっていました。ご心配いただいた方もいらしたかもしれません。すみません。
新しい仕事が始まり、気持ちもまだ余裕なく過ごしていた2週間目の週末、
元気だった義母が突然倒れました。
階下の義父から呼ばれて駆けつけ、救急車、手術と次々と状況が変わり、翌日、あっという間に違う世界へと旅立ってしまいました。
あまりに突然の別れだったため、義父、私の夫、義妹の驚きと悲しみは深く、私自身も義母にはとても可愛がってもらったので、淋しい気持ちでいっぱいです。
年齢を感じさせない元気と意欲があり、友達も多く、綺麗で華やかなものが大好きな義母でした。
せっかちで待っていられず困ったときもありましたが、裏表のない性格で、ハッキリと物事を言ってほしい私にとっては、とても良いお姑さんでした。
我が家の『要』の存在であり、いるだけで周りを明るくする、そんな人でした。
母の日や誕生日には、毎年プレゼントを贈り『まるマリンさんの選んでくれる物は気に入っているのよ』と、喜んでくれました。
ふと、今年の母の日はもうプレゼントを贈れないことに気付き、その事実に現実を突き付けられます。
心の中に湧き上がる様々な感情は置き去りにし、実際は葬儀やその後の手続きに忙殺されます。
実父の葬儀の経験もあり、立場上、比較的冷静に行動できるのは私。
それでも、考えなければならないことで頭がパンパン。
新しい仕事に慣れていないことの不安も重なり、疲れているのに眠りは浅く、1時間ごとに目覚める毎日。
さらに、これからの、義父を支えながらの生活を考えると、正直また不安が募ります。
ピアノを弾く時間もなく、ましてや気力も湧かず、音楽も聴きたくない。
できれば無音の世界に行きたいぐらいでした。
ちょうどこの前に、坂本龍一氏の亡くなる前のドキュメンタリーを見ていて、その中で
『エネルギーがあるときじゃないと、音楽は聞けない。』
と言っていたことを思い出しました。
音楽は癒してくれて力を与えるもの。
そう思ってました。
個人差があるでしょうが、私にとって音楽は、心に余裕があるときでないと向き合えないものでした。
平穏な日常の尊さ、ありがたさを、身をもって感じました。
私は義母に感謝していることがあります。
それは、大人ピアノ再開を後押ししてくれたのは、他ならぬ義母だったことです。
義母がピアノを習うタイミングで、
『あなたも習いなさい!』
と、有無を言わさず話が決まりました。
半ば強引ではありましたが、その時に始めていなければ、私は今でも弾けずにいたと思います。
義母が去ってしまったとき、まだ花をたわわと蓄えた桜の枝々から、花びらが風にあおられ、空を舞うのを見ました🌸
一緒にそれを眺めていた旦那は、何かを思っていたと思います。
桜の季節に、人の命の儚さを感じることになりました。
私は、その後に咲いたツツジ🌺の花に思い出があります。
この季節、私の家の前の道に一斉にツツジが咲きます。
ある年、義母は、
『こんなに綺麗に赤く咲いたことがあったかしら⁉︎本当に綺麗』
と言っていました。
今年、そのときと同じように、赤く赤くツツジは咲きました。
義母にもう一度見てもらいたかった、と涙が出ました。
時は流れ、だんだんと日常に戻りつつあります。
長らく不在のおばあちゃん(義妹)を慕い、葬儀にも参列してくれた義妹の孫が、可愛らしい声で電話をかけてきました。
未来ある者の声は、元気と勇気をもらいます😊
側にあるものに永遠などない。分かっているはずなのに、そのことを当たり前だと思い過ごしてしまう。
日常がいかに尊いものなのか。その幸せを噛みしめながら、あまり気負わず、私も生きていきたいと思います。
ピアノも、弾こうという気持ちになってきました。
おかあさん、ありがとう。