おはようございます。まるマリンです😊


図書館で借りて、やっと読むことが出来ました。



『老後とピアノ』

稲垣えみ子


本の内容、感想は多くの方が語っていて、今更ですよね😁


大人ピアノは自由なのです。

その目的も、

その目標も、

その楽しみ方も、

その付き合い方も、


子どものときの「やらされ感」から時が経ち、今、「ああしたい」「こうしたい」という、自分の思いと意思がある。


なんと素敵なことじゃないですか!✨


しかし、そこに立ちはだかるのは『理想と現実のギャップ』です。


たくさんの曲と演奏を聴いて、知識も増え耳も肥え、大人ピアノの皆さんは『こういう演奏がしたい』という理想像を持っている。

その演奏に近づきたいがために、もがき苦しむのです。(少なくとも私は)


これは子どものときはなかったこと。

音の作りや作曲家の人生、そんなことに気を配ることはなかった。(はい、私はですよ)


弾けないところはテンポを落として弾いても気にせず、『出来た!』と喜んでいた。

速く弾けることに妙に関心が高かったり…

誰でも一度はやっているのでは?

ブルグミュラー『アラベスク』の速弾き競争を!


読みながら、同じようなことで悩むのだなぁと思いながら、練習のヒントももらい、最後まで楽しく読み進めました😊



本の感想というより、今回は視点を変えて、私が思ったこと。


①イケメンのピアノの先生に習うってどんななんだろう?


そんなところに?と思った方、すみません。

私は今まで男性の先生に習ったことが一度もありません。ましてやイケメンなんて。

レッスン空間がそのイケメン先生と二人っきりって、どんなん?😁


ある話を思い出すのです。

私の学生時代の友人が、ピアノを再開しました。イケメンの若い先生に習っていると…(やはりピアニスト)

「先生に褒められたい❤️」

「先生に認めてもらいたい❤️」

発言は常にハート付きだった🤭


彼女は猛練習を重ね、発表会でとても素晴らしい演奏をしたそうです。(本人談)

集まってきた人が、口々に言ったそうです。

彼女が言うには、


「みんながね、素晴らしかったわ👏先生のご指導が素晴らしいのねって✨言ったの」


私は突っ込みます。


「え?ちょっと待って!笑!あなたの演奏が素晴らしいのではなくて、先生のご指導が素晴らしいって言われたの?」


「そうよ、私じゃなくて先生よ。本当に素晴らしい指導なんだもの。だって、私、昔よりすごく上手になったのよ」


私はその演奏を聴いていないので、なんとも言えません。

でも、彼女が上達した理由は、先生のご指導もあるとは思いますが、イケメン先生に会う、もとい!レッスンを見てもらうために、一生懸命に練習している『練習量』だと思っているのですが…


イケメンって思わぬ効果を生むのだな、と思った出来事。



②たった1音を美しく弾きたいという情熱がある。音楽を美しいと心から思える気持ちを持ち続ける


本のこの言葉を読み、あることを思い出しました。


ピアノを再開し、10年以上習っていた大好きなピアノの先生が、ご高齢から体調を崩し、レッスンができなくなりました😢


先生の様子を伺ったとき、先生の妹さんから、入院している病院の中で行われた小さな音楽会で、先生も演奏されたと聞きました。


先生は70代で海外のピアノ講習会を受けに行ったり、演奏会をされたりと常にピアノと共に歩まれて、その演奏技術も心も、奏でる音楽も素晴らしいものでした。


さぞかし素敵な演奏をされたのだろう、と思いながら話を聞いていた私。

妹さんは続けてこう言いました。


『もう、手もあまり動かなくなっていたから、右手だけでメロディーを弾いたのよ』


驚きました。あの華麗なテクニックを持っていた先生が、片手で演奏するなんて…


そして、先生は以前のような演奏を披露することができずに残念だったのでは…と勝手に思っていました。

そう、勝手に…


本の中のこの言葉を読み、チクリと心が痛みました。そして、そんなことを思った自分を恥じました。


先生は心を込めて、その曲を、そのメロディーを、素敵な音色で演奏されたに違いない。

だって、この曲を弾きたい、この音楽を届けたい、という情熱に溢れて演奏したわけですから。


『大人ピアノは、自分なりの目標を掲げて一生楽しむもの』


これからも私はピアノと歩んでいきたいと思います♪