もし、目の前で殴り合いの喧嘩をしている人を見たら、周りにいる人は、まずは止めようとするのではないだろうか?


その傍で、怪我をしたり泣いている子どもや女の人を見たら、手を差し伸べようとするのではないだろうか?


日常では自然とできることが『国』になると何故できないのだろう?



ロシアとウクライナの戦いが終わることもなく、また悲惨な戦いが起きてしまった。

歴史的な背景や、長きにわたる様々な経過があるのだろう。

しかし、国のリーダーたちは『無益な争いをなくす』ということに尽力をすべきではないのだろうか?


諸外国のリーダーたちは、どちらかを支援すると表明するのではなく、まずは争いを止めようと、強く提案することはできないのだろうか?




ミサイルに怯え、人質の安否を思い、先の見えない未来に失望し、家や職や家族を失った悲しみと苦しみに耐え、そして無意味に亡くなっていく人たちがいる。


そんな中、私は日曜日の寝坊を楽しみ、家族と笑いながら食事をし、午後は何をしようかと、いつもと変わらぬ平和な日常を送る。


全ての人がそんな普通の幸せを望んでいるのに、何故人間は、何故高度な文明と知識を持っている人類が、そのことを実現することができないのか?


被害を受けるのは、いつでも、どちらも、罪のない一般の人たちだ。




きれいごとだと言われるだろう。

何もしていないくせに、と自分でも思う。

でも、何度でも言う。

戦争で得るものは何もない。

生まれるのは憎しみだけ。

この争いは、また次の世代に暗い影を落とす。

ニュースを見るのが切ない。