つい今し方、コーラルのグローバルメディテーションのお知らせをアップしました♡ 



ホッとしたら、一気に気付きの波が押し寄せてきて驚いたので、少し長くなりますがシェアしますね。


昨夜月明かりの眩しさにふと目覚め半身浴をした後、ポマンダー〜クイントエッセンス、エアーコンディショナーを施して、天の父母にサポートを求めると源に繋がる体感を感じて休みました。




昨日、ゴールデンウィークのある日、この2年近く事あるごとにずっとずっと心に掛かっていたこと。


それは母親と妹の関係性。
そしてその関係性の愚痴を聞き間に入り、サポートをするほど、2人が共依存になって行く。


最近は特にそんな気がしていました。


自分の仕事に誇りを持ち働いている頃は、それはそれは美しい女神のような存在だった母。


オーラソーマを学ぶ間に客観的に距離を置けるようになっていましたが、「働かざるもの食うべからず」の集合意識の観念ゆえに働くのが嫌いと公言して憚らない妹に葛藤しつつも、言われるままになっている姿はとても切なくて、いつもコンサルテーションのような時間をどれだけ費やしたことでしょう。


時に遊びに連れて行き、時に食事に出かけ。。。


でもそれをすればするほど妹を甘やかしてしまう。


そろそろ私も本気にならなくてはと、心を強くと言い聞かせることが多くなりました。


どうして無条件に、自分の為に与えられる愛やギフトを受け取れないのか?


昨日話していて、何度も母の口から出てきた「働からかなければ食べていけないという」言葉。


「働きたくない」という妹の言葉は、母にとっては強迫的なもので、私が得たギフトをあげなければ。。という母と妹の共依存的なドラマだったのです。


そして、自分が与えられた愛を真っ直ぐに受け取らずそのまま妹に渡してしまうことで「働きたくない」と言い続ける妹への怒りと自分自身を責める気持ちとで益々受け取れなくなってしまうのでした。


レディポルシャからのメッセージにもありますね。


「裁かれなかったら裁くなかれ」


自分の嫌うものを裁く程、私達は自分への愛と喜びから遠ざかってしまうのです。


だから心の中で葛藤したり、裁かなくて済むように


「放っておきなさい」


「放って置けない」


の禅問答(笑)


これが毎回毎回出口のないやりとりでした。


子供の頃から何をプレゼントしてもしまっておく。


受け取るとすぐ家族に渡してしまい、いくら渡しても「ないない」と訴え、自分が渡しておきながら「あんなに悠長にして」と怒っている。


それもこれも、あるがままで愛されていいし受け取って良いのだということを許すことを知らずに育った(母は20歳で出会って一週間の父と結婚して、親元を離れ福島から東京へと出てきました)若い頃からの染み付いた信念ゆえだったのだな〜と。


それは母親だけでなく、この世代の女性達の集合的な怒りであり、その姿を見て反応している私の中に微かに残っていた母からの遺伝的影響(記憶の刷り込み)を解放する為だったのだということが一瞬にして理解出来たのです。


そして、もしかしたらこのシェアを必要としている誰かと分かち合う為に。。
  

きっとそうでなければ、反応は起こりませんよね。


特に昨年は投影されたり、何気ない一言に反応された悲しくなることが多かったけど、それはは私のものではないということも、今心から実感しています。


母親の感情を自分の感情のように味わうという子供の頃からの記憶を解放することは、私と繋がる方の記憶もクリーニングされるということなのです。


だからこそ、オーラソーマ®︎は自分自身を思い出すことを大切にしているのですね。


私達一人一人があるがままの輝きを生きることが、世界に光を繋いでいくのですから。


自分が内なる豊かさに目覚めていけば、繋がるすべての存在にその光は広がり分かち合われて行くのです。




気がつけば今日のハートエンジェルはDNA/RNAを書き換え細胞レベルから書き換える72番。


素晴らしい祝福でした♡


母は仕事も人も心から愛する優しい女性です。


だけどそれ故に「働かざるもの食うべからず」の観念に縛られ、自分よりも周り優先になってしまう。


その観念は、奴隷制的な集合的無意識のコントロールということに気付き、あるがままで私達は価値のある存在なのだということを思い出し、本当に心から受け入れる時代が到来したのだと感じます。


そのままで私達は愛されているし生かされているということを、身体があまり丈夫ではなく庭仕事や自然を愛でるのが大好きだった父は、全力で母に伝えていたのかもしれません。


晩年の父は本当に本当に愛に目覚め旅立ちました。


あるがままで愛されているし、許されている。
そのことを受容することこそ、愛を生きることそのものなのだとそのあり方を通して教えてくれた父。


そして、次女は逆の意味で目覚めを伝えてる。
所謂悪役さんですね。


「変わって欲しい」と伝えようとするよりも、ただ光と共に祈り彼女なりに精一杯なのだということを認めてあげるだけで良い。


「大変だったよね」


説得することや変わって欲しいと力を入れることは、返って相手を緊張させてしまう。


「大変だったよね」「頑張ってきたよね」


その一言で、みるみる母が癒されて目覚めていくのが解りました。


色の力って本当にすごいですね。


「マイク学長が今週コーラルポマンダーでグローバルメディテーションしますよ♡」


ブログに書いた瞬間、この気付きと手放しが起こったということは、メディテーションを通して、マイクさんの案内文にあったように私達が理想の神/女神(理想の父母)への投影を超え、私達が神や女神そのものとして生きることの大切さへと繋いでいく。


鏡を越えて行くことを許すことは、
神/女神を生きていることを現実として認識する
ことです。コーラルは謙虚さと意識をもって
それを行うことをサポートしています。


このお仕事をしていると時折、女神という表現にものすごく反応される方や、逆に外側のアーキタイプ的な女神に強烈に憧れを持つ方にも出逢います。


そのどちらもが投影。
本当にね、投影を超えていきましょう。


内側に神聖が宿る女性は全て女神。


それは拒否するものでも、なろうとするものでもないと私自身は感じます。


ただそれを生きていることを現実とし認識する。


それは物語の中のアーキタイプのような姿ということではなく、あるがまま内なる美しさを輝かせ生きることで周りに祝福を与える生き方そのもののこと。


だからこそ、私は子供の頃母のことを投影ではなく、女神だと感じていたのですから。。。


今から14年前の初めて日本人がシャイアーファームに入ることができた記念のデブオーラでのシンクロノメターコース。


20番のボトルとワークした時にみた夢をつたえた際のマイクさんのメッセージを今も思い出します。


「母方の癒しによって、君は女神として生きる」


もしかしたら今その地点にいることをもう謙虚に受け止める時なのだと感じます。


女神という言葉に抵抗されたのは、その人にとっての意味は別にあるとしても、私にとってはただ既にそれを生きていることを謙虚に認識して意識的であるようにと教えてくれただけなのかもしれません。


本当に全ては鏡そのものです。


今日のペールコーラルの理解と目覚めと解放が瞬間に起こったことが感動的だったので、少しだけ個人的なシェアをしてみました。


皆さんも、どうぞペールコーラルのメディテーション是非ご参加しれてみてくださいね。


そして6月の自粛要請が開けたら、是非オーラソーマのボトルを通して、投影を超えたご自身の美しい光に出逢いに来てください。


思いがけず長いブログになりました。

読んでくださり本当にありがとうございます。




ペールコーラル色に輝く太陽と共に♡


愛と感謝を込めて


マルマリア♡妃出子