王子ちゃまのお雑記帳
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未来ちゃん

9月14日は絶対に忘れちゃいけない日です。

大切な友人の命日です。

女子プロレスとゆー特殊な職業だった彼女は22歳とゆー若さでこの世を去りました。

オイラがいろいろあって悩み苦しんでる時に助けてくれたのが彼女でした。

オイラがいろいろあってもう死んじゃおうかなとか本気で考えてた時だったから、例え営業トークでも彼女の一言一言に支えられてました。

言わば命の恩人とも言える存在でした。

彼女は試合会場で会う度に「元気出して下さいね。そんなに落ち込まないで下さいね。いつもの様に明るく楽しく行きましょうよ。落ち込んだ顔は似合いませんよ。」って声を掛けてくれました。それこそしつこいくらいにねm(__)m。

そんな彼女が亡くなったと聞いた時は何も手につかなくなる位のショックでした。

事実、その後の3、4日は何も食べれなかったしね。

ツラかったんたろうな、苦しかったんだろうなって思う度に涙が溢れて止まんなくなることがしばしばありました。

今でも彼女の力になれなかった事が悔やまれます。

自分はあれだけ助けてもらったのに・・・。

一番悔やまれるのは最後に息吹に出場した時(追悼興行の前月)、久々に声掛けようかなと思いましたが沢山のファンに囲まれてて。

何かその光景見てるだけで嬉しくなっちゃってね。

また次に声掛けようってその日は帰りました。

ところが次の機会は永遠に訪れる事のない機会になってしまいました😢⤵️⤵️。

追悼興行の時はそれこそ体中の水分が無くなるくらいに泣きました。

何もしてあげられなかった事が悔しくてね。

とにかくは毎日を精一杯生きる事、それがおいらに出来る恩返し・・・・・そう考えて今は生きてます。

今日は以前、小樽で作った特製のオリジナルオルゴールの封印を解いて聞きまくらなきゃね。

彼女に生かされた命ですからね、尽き果てるまで大切に大切にしないと笑われちゃいますからね。

一日一日をしっかりと前を見て生きていきたいですね。

未来ちゃん、暫くは直接お礼言えそうになくてごめんなさいm(__)m。

きちんと命を全うできたら笑顔で会いたいね。

その時は面と向かってお礼が出来る様に頑張るよ。

だからこれからもみんなをお空の上から見守って下さいね。

未来ちゃん。必ずまた会おうね絶対だよ、約束だよ。

今宵は一年振りにアレの封印解かなきゃね。

今はお酒飲めないから炭酸とアルコール抜きの麦茶飲みながらかな。

どんなに辛く悲しくても明日は必ずやって来る。

一日一日、日々を懸命に生きていかなきゃね。
ちゃまさんのプロフィールページ

https://www.ameba.jp/profile/general/marlon0902/?account_block_token=iOuaqO8IZ2FWk0aeYK3mEwxLBOHoECjO

ジャンボ鶴田さん その3

我が永遠のヒーロー・ジャンボ鶴田さん。ここでちょいと雑談(笑)。


初めて聞いたプロレステーマは多分、当時の「全日本プロレス中継」のオープニングで使用されてた「NTVスポーツテーマ」だったと思います。


毎週テレビ見てましたからね。




んでもって、初めて生で聞いたのが「チャイニーズ・カン・フー」、言わずと知れたジャンボ鶴田さんの初代テーマ曲です。


フランス?のディスコグループ「バンザイ」の楽曲で当時のシングル盤のA面が通常盤でB面がディスコサイズ(いわゆるロングバージョン)だった様な気がしますが。




まだ実家にレコードあるはず。知り合いのライブバーで月一でディスコナイトがあってよく掛かってました(^O^)。 


 初めて聞いたのはね、確かおいらがまだ小学生の頃でした。おいらの地元での大会でデパートで鶴田さんがサイン会をしてて、鶴田さんの足元にあったラジカセからずっとこの曲が流れてましたね。 


 そんでその日の夜が試合でした。第4回チャンピオン・カーニバルの真っ只中(アブドーラ・ザ・ブッチャーさんが初優勝した年です)で馬場さんはセミでザ・スピリット・・・(だったかな?)と公式リーグ戦でしたね。


鶴田さんは、サムソン轡田さん、ザ・デストロイヤーさんと組んでアブドーラ・ザ・ブッチャー、キング・カーチス・イヤウケア、ザ・ビースト組(だったかな?)とメインでした。 


 そしてその日こそ、オイラにとってのプロレス初観戦の記念すべき日になったんですよ。ちなみに第一試合は大仁田さんと園田さんのシングルでした。 


 二代目テーマ曲の「ローリング・ドリーマー」。こちらは生では聞いてないんだよね、残念ながらも。多分、テレビでは聞いてはいるハズよ。天龍選手の「サンダー・ストーム」との合体テーマもあったんぢゃないかな。 


 レコードも持ってなくてテレビでちょろっと聞いたぐらいだったですね。その曲も「プロレスQシリーズ」でCD化され喜んだのを覚えてますね。後には本人歌唱盤の歌入り盤もCD化され二重の喜びになりました。こちらは川口真さんの作曲でしたね(ウルトラマンタロウやウルトラマンレオの主題歌の作曲でお馴染みです)。



ジャンボ鶴田さん その2

ジャンボ鶴田選手の入場テーマで83年8月31日蔵前国技館のみ使用の「T・Tバックドロップ」はローリング・ドリーマーとJの間ぢゃなく正確にはローリング・ドリーマー使用中に大一番(ブロディとのインター戦)とゆー事で使われてたんですね。いやはやイイお勉強になりますた。





この「T・Tバックドロップ」ですが当日はイントロを短めに編集しての使用でしたね。なんせ一回切りの使用ですからね。でも鮮明に記憶しているのはやはりジャンボ鶴田のインターヘビー初戴冠だったからでしょうね。





生粋のジャンボファンのおいらもテレビで見て感動の涙を流してました。ただ残念ながらピン・フォール勝ちとはいかずにリングアウト勝ちでしたが。後にバックドロップでピンフォールを奪うことにはなるんですが(確か仙台の宮城県スポーツセンターでブロディからインターへビーを奪回した試合)。







ジャンボ鶴田さん三代目のテーマ曲は言わずと知れた「J」。初期はオリジナルバージョンだったかなぁ?、確か途中からかな?シングルレコード収録のバージョンに切り替えられたのは。





こちらの曲も天龍選手のテーマ曲である「サンダー・ストーム」と合体したバージョンがあって鶴龍コンビの試合でよく流れてましたよね。おいらはまだ田舎に居たのでテレビででしか見れてないんですが。





冒頭に書きましたが、この曲にはオリジナルバージョンと言うのもあって・・・。病気(肝炎)で長期欠場する直前の頃には既に使われてましたね。





全日本プロレスの創立20周年大会、三沢選手と川田選手が三冠ベルトをかけた超世代頂上決戦がメインだった時のセミファイナルでの入場シーンが特に印象に残ってます。



6人タッグマッチで一人ずつの入場だったんですよ、この時は。入場順は・・・・・

1、テリー・ゴディ、2、ドリー、ファンク・ジュニア、3、ジャンボ鶴田、4、アンドレ・ザ・ジャイアント、5、ジャイアント馬場、6、スタン・ハンセン

だったかな?。記憶がかなりあやふやですみませんm(__)m。ちなみにこん時はオリジナルバージョンでした。





そして枯れる程の涙を流した日本武道館でのジャンボ鶴田引退セレモニー。セレモニーに先立っての入場時は初代の「チャイニーズ・カン・フー」でした。




セレモニーの全てが終わった所で「J」のオリジナルバージョンが流れて、ジャンボ鶴田さんはコーナーに登って「オーッ・・・・・」の連呼。オイラも泣きながら叫んでましたね。





その直後に世界タッグ戦や三冠戦があったのですが内容はほとんど覚えてないです。「オーッ・・・」で燃えつきてました(笑)。鶴田さんの引退セレモニーだけに参加したかった訳で、だから急遽チケット買いましたもん。





鶴田さんは、PWF・インターヘビー・UNと言う三つのシングルタイトルを統一した初代であり、インタータッグ・PWF世界タッグの二つのタッグタイトルを統一した初代でもあります(パートナーは谷津選手)。





おいらにとっては架空世界ではなく、現実の世界におけるスーパー・ヒーローでしたね、間違いなく。だから逝去の報はすぐには信じれなかったし信じたくなかった。ヒーローが死ぬハズないって思ってましたから。





鶴田さんの御遺体が海外から日本に帰ってきた際に空港ロビーで奥様やお子さん方を出迎え、奥様やお子さん方をそれこそ我が子の様に報道陣から守っていたのが元付き人でもあり元ライバルでもあり海外移住の際にも空港で見送りしてた故・三沢選手でありました。





追悼番組で鶴田さんから電話で激励された事などを話していた三沢さんも鬼籍に入られたとは未だに信じられない気持ちです。「何があってもボクはみちゃわ君の味方だからね」、鶴田さん常に三沢さんにそう話していたと。





そして追悼番組が「全日本プロレス中継」枠で放送された際には、あのスタン・ハンセンさんがアマリロでの修行時代を回想してたシーンが忘れられませんね。あんな笑顔で話すハンセンさんは初見でしたし。





一つ一つの出来事を懐かしむかの様に。中でも鶴田さんに日本からカップ麺が送られてきたときに空腹のハンセンさんがそのほとんどを平らげたお話しとか(笑)。





またハンセンは自身の著書でも第一線から身を引いた後の鶴田さんと子育てについて語り合っていた事を明かしてますしね。著書によるとハンセンさんは自身の奥様の母親(奥様は日本人)との電話の最中に鶴田さんの訃報を聞いた様ですね。リング以外のハンセンさんの素晴らしい一面が想像できるエピソードです。



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