王子ちゃまのお雑記帳 -2ページ目

ジャンボ鶴田さん その2

ジャンボ鶴田選手の入場テーマで83年8月31日蔵前国技館のみ使用の「T・Tバックドロップ」はローリング・ドリーマーとJの間ぢゃなく正確にはローリング・ドリーマー使用中に大一番(ブロディとのインター戦)とゆー事で使われてたんですね。いやはやイイお勉強になりますた。





この「T・Tバックドロップ」ですが当日はイントロを短めに編集しての使用でしたね。なんせ一回切りの使用ですからね。でも鮮明に記憶しているのはやはりジャンボ鶴田のインターヘビー初戴冠だったからでしょうね。





生粋のジャンボファンのおいらもテレビで見て感動の涙を流してました。ただ残念ながらピン・フォール勝ちとはいかずにリングアウト勝ちでしたが。後にバックドロップでピンフォールを奪うことにはなるんですが(確か仙台の宮城県スポーツセンターでブロディからインターへビーを奪回した試合)。







ジャンボ鶴田さん三代目のテーマ曲は言わずと知れた「J」。初期はオリジナルバージョンだったかなぁ?、確か途中からかな?シングルレコード収録のバージョンに切り替えられたのは。





こちらの曲も天龍選手のテーマ曲である「サンダー・ストーム」と合体したバージョンがあって鶴龍コンビの試合でよく流れてましたよね。おいらはまだ田舎に居たのでテレビででしか見れてないんですが。





冒頭に書きましたが、この曲にはオリジナルバージョンと言うのもあって・・・。病気(肝炎)で長期欠場する直前の頃には既に使われてましたね。





全日本プロレスの創立20周年大会、三沢選手と川田選手が三冠ベルトをかけた超世代頂上決戦がメインだった時のセミファイナルでの入場シーンが特に印象に残ってます。



6人タッグマッチで一人ずつの入場だったんですよ、この時は。入場順は・・・・・

1、テリー・ゴディ、2、ドリー、ファンク・ジュニア、3、ジャンボ鶴田、4、アンドレ・ザ・ジャイアント、5、ジャイアント馬場、6、スタン・ハンセン

だったかな?。記憶がかなりあやふやですみませんm(__)m。ちなみにこん時はオリジナルバージョンでした。





そして枯れる程の涙を流した日本武道館でのジャンボ鶴田引退セレモニー。セレモニーに先立っての入場時は初代の「チャイニーズ・カン・フー」でした。




セレモニーの全てが終わった所で「J」のオリジナルバージョンが流れて、ジャンボ鶴田さんはコーナーに登って「オーッ・・・・・」の連呼。オイラも泣きながら叫んでましたね。





その直後に世界タッグ戦や三冠戦があったのですが内容はほとんど覚えてないです。「オーッ・・・」で燃えつきてました(笑)。鶴田さんの引退セレモニーだけに参加したかった訳で、だから急遽チケット買いましたもん。





鶴田さんは、PWF・インターヘビー・UNと言う三つのシングルタイトルを統一した初代であり、インタータッグ・PWF世界タッグの二つのタッグタイトルを統一した初代でもあります(パートナーは谷津選手)。





おいらにとっては架空世界ではなく、現実の世界におけるスーパー・ヒーローでしたね、間違いなく。だから逝去の報はすぐには信じれなかったし信じたくなかった。ヒーローが死ぬハズないって思ってましたから。





鶴田さんの御遺体が海外から日本に帰ってきた際に空港ロビーで奥様やお子さん方を出迎え、奥様やお子さん方をそれこそ我が子の様に報道陣から守っていたのが元付き人でもあり元ライバルでもあり海外移住の際にも空港で見送りしてた故・三沢選手でありました。





追悼番組で鶴田さんから電話で激励された事などを話していた三沢さんも鬼籍に入られたとは未だに信じられない気持ちです。「何があってもボクはみちゃわ君の味方だからね」、鶴田さん常に三沢さんにそう話していたと。





そして追悼番組が「全日本プロレス中継」枠で放送された際には、あのスタン・ハンセンさんがアマリロでの修行時代を回想してたシーンが忘れられませんね。あんな笑顔で話すハンセンさんは初見でしたし。





一つ一つの出来事を懐かしむかの様に。中でも鶴田さんに日本からカップ麺が送られてきたときに空腹のハンセンさんがそのほとんどを平らげたお話しとか(笑)。





またハンセンは自身の著書でも第一線から身を引いた後の鶴田さんと子育てについて語り合っていた事を明かしてますしね。著書によるとハンセンさんは自身の奥様の母親(奥様は日本人)との電話の最中に鶴田さんの訃報を聞いた様ですね。リング以外のハンセンさんの素晴らしい一面が想像できるエピソードです。



https://profile.ameba.jp/me

ジャンボ鶴田さん

日本が世界に誇る超最強レスラーだった鶴田さん。今日は鶴田さんの命日ですね(泣)。




あれから何年経っちゃったんですかね。現実世界のスーパーヒーローの突然の訃報でした。




前年に行われた日本武道館での引退セレモニー、無理してでも行けて良かったです。入場テーマでもある「J」の流れる中、オイラは溢れる涙と共にオーしてたっけなぁ。




テキサスはファンク道場で共に修行していたスタン・ハンセンさんは後に著者で奥様の母親(奥様は日本人)との国際電話の最中に知らされたみたいですね。




鶴田さんがトップ戦線から降りた後は友人として子育てについて相談をハンセンさんとしていたとも。鶴田さんが病に倒れて半年後くらい(だったかな)してハンセンさんが川田利明選手を降して三冠チャンピオンに返り咲いたときにインタビューで鶴田さんにエールを送ってたのを思い出しました。




ちなみに鶴田さんが三冠統一した際の相手がハンセンさんでしたね。大田区体育館だったかな。




鶴田さんはあのハンセンさんや故ブロディ選手から完璧なるフォール勝ちをしてますからね。ハンセンさんとの大田区ではラリアットを交わしての丸め込みでしたが、チャンピオンカーニバルの優勝戦ではコーナートップからのジャンピングニーでまた松本での三冠戦ではラリアットを交わしての振り向きざまのランニングネックブリーカーでそれぞれフォール勝ちしてましたね。今でも脳裏に焼き付いてます。




ブロディ選手とは確か日本武道館でインターヘビーのタイトル戦(超獣、涙のインター奪還で有名ですね)で敗れ王座陥落後に宮城県スポーツセンターで再戦し雪崩のブレーンバスターからのいわゆるへそで投げる・・・世界(AWA世界ヘビー級)を獲ったバックドロップでピンフォール勝ちでした。




ちなみにAWA世界ヘビー級は鶴田さんからリックマーテル選手へと渡りそしてハンセンさんへと渡りましたよね。ここでのハンセンさんは必殺のラリアットではなく気迫の逆エビ固めでのギブアップ勝ちでした。テレビではダイジェストが流れたのかな確か。コーナーを巧みに使っての逆エビだったなぁ。間にマーテル選手は入りますが鶴田さんからハンセンさんへ渡るのも凄いなと当時は驚きでした。




鶴田さんの師匠のザファンクスもハンセンさんもまだまだ健在ですからね。鶴田さんが如何に凄い選手だったかを語り継いでいってほしいですね。そしてもちろんライバルだった天龍さんも。天龍さんの今日のブログ見たら鶴田さんの事を書いてくれてました。あのオーを継いでいくともね。何か嬉しくて目頭が熱くなってました。




いつの間にかオイラも鶴田さんの年齢を越えてしまいました。でもデビューの頃から鶴田さんの試合を見てこれたのは例えテレビを通じてでも一生の宝物です。目を閉じれば鶴田さんのファイトが自然と出てくるしね。




よし、今宵は全日本プロレス入場テーマ集聞きながらにしましょっと。四天王+秋山選手の時代までですが\(^o^)/。

未来ちゃん



未来選手も元々は全女の出身。多分、AtoZのアクトシティ浜松大会で初めてツーショット撮ったんぢゃなかったかな?。それ以降はほぼ毎回に近いくらい撮ってましたね。ちなみに本人手作りの限定ストラップも購入した記憶くがあり・・・どこにあったかな(笑)、すみません。


未来選手はAtoZ時代はハイ・スタンダードの「Cant help falling in love」を入場テーマ曲として使っていましたね(エルビス・プレスリーのカバー)。フリーになってからはDO AS INFINITY の「For the future」を入場テーマ曲としてました。


そんな訳で今日は以前、小樽で作った特製のオリジナルオルゴールの封印を解いて聞きまくらなきゃね。