水について 1 | まーりんのまりんエッセンス

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魂・心・体に響き渡る、これから先の時代のエッセンス
「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語

 


水は 意識を持ったエネルギーの一形態といわれます

 

雲も水でできてますが

羊になったり 象になったり します

人間が「消えろ!」と命令すると 消えたりもします

  




 

 

お水が意識を持っているというのなら

 

どんなふうにつきあったらいいでしょうか

 

 

 


ある男の子がコップで水を飲んでいると、親しくしてくださっているお坊さんにいわれました。
「きみは何を飲んでんのや」
「水や」
「いいや、それは水やない。よう飲んでごらん。」

でも・・・いくら飲んでも、ただの水の味しかしません

「それは今日の水や。水はいつも同じだと思って飲んでいるから、ただの水だと思ってしまう。
でも、それでは水に出会ったことにならないんだよ。
ほら、外を見てごらん。

山の上に雲がある。

その水は、はるか昔に雲から地上に降ってきて、地面に浸み込んだ。

そして土の中を時間をかけて通って、大地のエネルギーを全部集めて水道管にたどり着いた。

今日、ノブくんに飲んでもらうために、遠い旅をしてきたんや。」

「ノブくんは大急ぎで蛇口をひねったから、たくさんの水が全部流しに流れてしまっただろ。
そのコップに入った水は、ノブくんが蛇口の下にコップを出したときに、たまたま中に入った、
ノブくんと本当に縁のある水なんや。
それを意識しないで飲むのは水にかわいそうや。 いつくしんで飲まなければいけないよ。」

(『イーグルに訊け』 天外伺朗著)

 








古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスはいいました
「誰も同じ川に 二度足を入れることはできない」

 

 

 

 

ところで

 

朝、顔を洗うとき
 

どんなふうに水を使っていますか?



以前のわたしは、

蛇口をひねって、水/お湯を出しっぱなしにして、じゃぶじゃぶしてました。
寒いときは、金属の蛇口をさわりたくなかったし

暑いときは、水の流れの冷たさを味わいたかった 


 

そんなわたしが、顔を洗おうとすると

さっきの話が思い浮かんできました。



手ですくった水は、わたしが触れることができるものとして、たまたま「選ばれた」水です。
それは縁があると思うし、顔を洗ってくれてありがとう です。

 

でも

 

顔を洗っている間にたれ流しになっている水は、どうなのでしょう。



この水たちがなければ、すくい取られる水もないわけです。
「わたしが顔を洗う」という目的で呼び出した水には違いない。

 

すくい取られ使われる水と、すくい取られなかった水。


イメージとしては、交流電流のプラス(+)とマイナス(-)、縫い糸の布表に出た部分と
裏地に出ている部分のような感じ。

 

だから、触れずに流れて行った水も、やっぱり縁がある水なんだ。







 

そう思ったら

 

使うことなく下水に流しているのが、申し訳なくなって
 

洗面器にお水をはって使うようになりました。

 

 

夏場に足を水につけて冷やすときも

バケツに水を張って使い、

それは雑巾がけやベランダの掃除に使います

 

 

 

慣れたら、それが当たり前になりました。