志賀海 9  ナマズは龍にもなる海神の眷属 | まーりんのまりんエッセンス

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今年の春、福岡、早良にある賀茂神社で霊的に引き止められ、そこのナマズ神から
「志賀海の綿津見神からのことづかりもの」=エネルギーを受け取ったことから発した疑問。

(1) どうして、ナマズが龍宮/海の神のお使いをしたのか?

ナマズは、有明海や玄界灘の潮(塩)を支配した海神の眷属でした。

志賀海 7  謎が解け、事象はつながってゆく
志賀海 8  謎が解け、事象はつながってゆく


しかしどうして淡水魚で湖沼に棲むといわれるナマズが、海の神の
お使いなのか?



ナマズの生態から伝承を見る
有明海も、古代の博多湾も、深く湾入した遠浅の海であり、干潟を形成していました。 その
河口付近は、淡水と海水が混じり合う汽水域。 満潮時には海水が遡り、干潮時には淡水
が海に向かって流れる場所。 

有明海が汽水域であることは有名ですが、博多湾の沿岸の河口付近もそのような場所です。
たとえば、博多湾に流入する御笠川。その河口から1.5キロほど上流のほとりにあった御供所
(ごくしょ)小学校の校歌には 「御笠川 潮満ちくれば さわやかに川風渡る」 とあります。
子どもの頃、校庭から何気なく御笠川を見ているうちに何かおかしい気がして、よくよく見ると
川の
水がいつもと逆方向に流れていたのでビックリしたことがあります。 川風は、潮の匂いが
しました。

Wikipedia によれば、
「そうした河口には、有機物が豊富な泥が堆積しているために(現在の博多湾じゃ想像しにくい
ですが)、
淡水性や、沿岸性、外洋性の生物でも、幼年期、若齢期など一生のうちの一時期を
汽水域で過ごすものがある」。 ナマズも、そうした生物のようです。


こうした理由から筑紫一帯が、意外にもナマズと縁のあるところだったりするかもしれません。

なお、ナマズの生息域は、「マナマズは中国大陸東部・朝鮮半島などの大陸部に加え、台湾や
日本など島嶼域を含めた東アジア全域に幅広く分布している」そうです。
「現代の日本ではマナマズは北海道と沖縄諸島を除く全国に分布しているが、本来の生息域
は西日本に限定されていたとみられている。 縄文時代の貝塚など全国各地の遺跡から
ナマズ目魚類の骨格が出土しているものの、古い時代のものは滋賀県より西の地域に限られ
ている。」

ちょうど古代九州王国とその関連地域、大和の成立に関与したといわれる氏族の痕跡が濃い
場所のようです。 ちなみに、出雲にもナマズがたくさんいるようで、ナマズ釣りに関するネット
記事が散見されます。 宍道湖も有明海と同じように汽水域で、ウナギやナマズがいるそう。


また、ナマズは、群れをなして河を遡ることがあるらしい。 そして、ナマズの群れは、越冬地、
産卵地、夏の生息地の間を、相当な長距離であっても移動することがある
ようなのです。

以下は、ネット上で展開している釣り専門誌 In-Fisherman の「Debunking Catfish Myths 
(ナマズ神話を覆す)
」から抜粋して訳してみました。

* * *

「フラットヘッド・キャットフィッシュ」という種類のナマズは、アメリカ東南部、特にミシシッピ川に
分布する大型のナマズで、生息域は比較的狭いとされてきた。 ところが、トム・バーンズさん
が、1万時間以上かけてカンザス川のナマズの群れを観察し、ロレンスからカンザスシティまで
30マイル(約48 Km) に渡る一帯にかけて追跡した結果、それが覆るようなことが判明。

1931年から1991年までの毎年6月、彼は、数千のフラットヘッドが、ミズーリ川からその支流の
カンザス川へと遡上するのを目撃している。
 あるときには、フットボールのコートほどの広さを
覆うほどのナマズの大群が、まるでオットセイのように水面上に飛び跳ねながら移動してゆく
のが観察されたという。


また、10月中旬に、水位が5-6フィート上昇したら、フラットヘッドは、ブチナマズと同様にカン
ザス川からミズーリ川へ移動するのが観察された。 ただし、そうした水位の上昇が11月初旬
に起きても、フラットヘッドもブチナマズも、カンザス川の水底深くにある穴から出てこようとは
しなかった。

近年の追跡調査は、ナマズが越冬地と産卵地、夏季の生息地の間における長距離の移動を
いくつかの河川で行うことを明らかにした。 
ミズーリ川のフラットヘッドは、夏は主要な支流の上流で過ごし、冬になると、ミズーリ川まで
移動するか、夏を過ごした支流のずっと下流まで移動して冬眠することがわかった。

最近、多くの生物学者はこう結論付けている。
年間を通じて生息条件が満たされていれば、ナマズはそれほど広くない生息地からあえて遠く
に行こうとはしないが、越冬地と産卵地、夏季の生息地の間が離れている場合は、バーンズが
数十年前に目撃したようにして移動する。

なお、最新の研究では、ブルー・キャットフィッシュ(ミシシッピ川にいる大型のナマズ) は、200
マイル (320 Km) も移動するし、ブチナマズも同じように広範に移動するということが明らかに
なった。

* * *


「へえ~~」 しかコトバが出ないです。
以上は、ミシシッピ川>ミズーリ川>カンザス川における大型ナマズの話なんですが
日本のナマズさんたちが同じような生態を持っていれば、「ナマズ=海神のお使い」は、かなり
腑に落ちる気がします。


いま見た内容を踏まえて、1. 有明海と博多湾に注ぐ川、2. そのほとりで海の女神を祀る神社
3. ナマズ伝承 がセットになっている場所をおさらいしてみます。


嬉野の豊玉姫神社は、有明海に流入する塩田川の上流。 毛細血管のような支流の先は、
もうすこしで大村湾の彼杵(そのぎ)に出そうなほど西に延びていて、長く蛇行した川です。

(その名前からして、河口流域に塩田(えんでん)でもつくっていたのでしょうか。下流南側の
地名は「鹿島」。 鹿島にはまた鹿島川があり、その支流「中川」沿いに「能古見(のごみ)」と
いう郵便局、保育園、小学校があり、肥前鹿島の清酒「能古見」があります。
これらは、志賀島、能古島を擁する博多津を連想させます。)


河上狭の與止日女神社は、有明海に流入する嘉瀬川の上流。 この川も長く、細い支流を
たどれば脊振山系に届きそう。


那珂川町の伏見神社は、那珂川の上流。 那珂川は脊振に源流があり、「福岡の水ガメ」南畑
ダムがあります。 與止日女の嘉瀬川とは、脊振山をはさんで西東の位置にあります。 その
河口は、下の博多古図では青丸で示していますが、古くは「冷泉津」という入江の最奥に流れ
込んでいました。


那珂川流域の伏見神社のそばには、日本最古の農業用水路で、神功皇后が現人神社の神田
を灌漑するために造ったとされる、裂田溝(さくたのうなで)があります。 その取水口の上流に
三つの深い淵があり、「なまずのかまど」と呼ばれていたそうです。
ここでは、ナマズは「神功皇后のお使い」とされているので、捕る人もなく、たくさんのナマズが
いたといいます。 三韓征伐の折、群をなして皇后軍の船を抱いて水先案内をつとめたのは、
ここのナマズさん。
また、ここのナマズは、大阪夏の陣、島原の乱、日清・日露戦争など、天下に変事が起こりそう
になると「かまど」から出てきて異常な行動を取ると言い伝えられており、伏見神社の先代宮司
は、太平洋戦争終結前の1945年8月3日~10日まで、「ひどく
混乱した状態の」 ナマズを
目撃した、とも 
那珂川町研究会資料)。 
天下の変事・・・そこに地震は含まれないのでしょうかね。 逸話自体は、ナマズの地震予知と
も関連しそうですが・・・


このように、上流の瀬に、ナマズをお使いとする海の女神が祀られている
塩田川、嘉瀬川、そして、那珂川。


いずれの川も、
河口は湾入して淵を形成しており、汽水域であったために、実際にナマズが生息していたか
無理なくナマズの住処と考えることが可能だった
のでは。

わたしとしては、これらの川には実際に生息していた!と考えたいですけどねえ。
冬眠、産卵、夏の生息地と、季節に応じてナマズが群れになって上流-下流(河口)の間を
行ったり来たりするなら、ナマズを眷属するというアイデアや数々の逸話は、実際にそれを見た
人々がつくったということで納得できそうなんですけど。


特に、In-Fisherman に載ってるトム・バーンズさんの目撃談
「ナマズの大群が、まるでオットセイのように水面上に飛び跳ねながら移動してゆく」という描写
は、圧巻。 那珂川の伏見神社のナマズが
「三韓征伐の折、群をなして皇后軍の船を抱いて
水先案内をつとめた」という場面と重なって
思い出されました。

また、ナマズが群れをなして河口や下流域から上流まで遡るのであれば、
肥前国風土記で與止日女神社についての記載 「川上に石神があり、名を世田姫という。海の
神、鰐魚が流れに逆らって上りきてこの神のところに到るに、海の小魚もしたがって来る。」
いうのは、有明海の潮の遡上とともに海の魚たちも川を上ってくる現象を指すと同時に
ナマズの群れが夏の生息地に向かう現象でもあるのでは・・・? 

大きなナマズは、遠くから遡上するのをみたら鰐魚 (ワニのことだけど、強引に鮫(サメ)と呼ん
でしまおう) みたいではありませんか? ジュゴンが人魚と間違えられるくらいだから、いけそう
だと思いますが・・・(笑)



そして、これらの川はいずれも内陸と海を結ぶ長い川であり、海人族によって水運に利用されていた
のでは。 その場合の河川の交通では、潮の満ち引きが重要な役割をしていたはずです。


これら双方の要素が重なり合うことで、いつのころからか、ナマズが海人族の祀る綿津見神族
(満珠干珠で潮を操作する神) のお使いとされたのではないでしょうか。



龍とナマズ
ナマズと同じように川を遡上するといわれ、同じようにヒゲがあって、口がパクパクした魚といえば、鯉。
鯉の滝登りは登竜門の故事で有名ですが、人間が可愛がっていた鯉が死後「竜鯉」という
牛の角をつけた姿となって飼い主を守り、徳を積んでついには竜となるという伝説も。
要するに、鯉⇒竜 というレベルアップの仕組みがある。

じゃあ、ナマズはどうなの? ナマズだって川を遡れるよ・・・


ネットで見つけた<ナマズ⇒竜>エピソードは、たったひとつ。
「琵琶湖の竹生島にある都久夫須麻神社(竹生島神社)には、ナマズが龍に変身して(あるい
は龍から大鯰となって)島と神社を守護するという縁起(言い伝え)が古くからある。」

Wikipedia ナマズの伝承より

おー三大弁才天に挙げられる竹生島の弁才天。 宗像の市杵島比売命さま。
龍神も大己貴命もお祀りされてる龍神ランド。

しかしこの<龍⇔ナマズ>伝説は、後付(あとづけ)のように感じます。 だって、この話が
伝わっているのは、数ある龍神ランドでもここだけみたいですもん。
ナマズが「まるでオットセイのように水面を跳ねながら川を遡上していく」様子を目撃すれば、
もしかしたらあれは龍か・・・?と思うひとがいるかもしれません。 うーんでも、そんな言い伝え
が聞こえてこない。 

そもそも、ナマズ=龍=海神の眷属という発想は、どこからくるのだろう。


・・・そりゃやっぱり、與止日女でしょう。

Wikipedia の都久夫須麻神社(=竹生島神社)のページをみると、ここは
もともと産土神の浅井比売命をお祀りしていたけれども 神社由緒書に
「天智天皇による志賀宮(近江宮)創建の際、宮中の守護神として祀られた」とあるらしい。

「志賀」宮・・・? 近江大津宮は、そのように呼ばれることがあるんですか。
近江大津宮は琵琶湖の南にあり、琵琶湖のある滋賀県の「滋賀」という地名は「志賀」とも
書くそうです(「滋賀という地名をめぐって」)。
 
天智天皇は、白村江の戦で百済と組んで唐・新羅連合と戦いました。 そのとき倭国軍指揮官
として、阿曇比羅夫が活躍しています。
その敗戦後に創建した新たな本拠地の守護神を、浅井比売命としたのにはそれ相応の理由
があると思われます。 

琵琶湖にぽっかり浮かぶ竹生島は、水に囲まれ人里から離れた場所、水の神を祀るのに格好
の聖地です。 
ここに龍神が祀られるのは必然だったのかもしれない。 またそれは、阿曇氏に
とって大事なあの場所、
沖津宮のある島と条件が似てるのです。
浅井比売命ご自身が琵琶湖の水を統べる神だったようですが、もし滋賀が志賀とつながるなら
ば、この島の神は、阿曇氏の祖神、志賀島の龍神につながる性格をもつようになるのでは。

  

左:竹生島                    右:志賀海神社の沖津宮がある島



與止日女はあまりに筑紫に土着過ぎて、琵琶湖まで連れてこれなかったか。

「・・・だからね、この神さまのお使いは、ナマズなんです」
「はあ? ナマズですか・・・」
「水の神さまいうたら、お使いは龍とか蛇ではあらしまへんのか」
「なんや優雅じゃありませんなあ せめて鯉にしとくとか」
「・・・・・・・

阿曇氏族と天皇や他の豪族の間で、こんな会話が繰り返されていたりしてね。

代わりといってはなんですが、聖武天皇の時代になって弁才天が祀られた。 
しかし、
與止日女がナマズをお使いとする部分は、縁起に盛り込まれ、「意図的に」竹生島に
残された。

と、いう妄想をしてみました ( *´艸`)

與止日女系のナマズ伝説が、当地竹生島ではどこまで忠実なのかといえば、
「島の守り神であるナマズを安易に捕ることは許されないという当時の考えにより、同じく竹生
島にある宝厳寺から湖岸の村役に対し毎年「鯰免状」が与えられ、ナマズを食用とすることを
許可されていた。」 (Wiki. ナマズより) 
あー食べちゃってたのか。 食べちゃいや・・・



おお! これは泣ける。
↓↓↓↓↓
竹生島と鯰の話

むかしむかし、琵琶湖の北部にある竹生島の弁天さまは、美しい満月の晩になると琵琶湖の
魚たちを集めて歌と踊りの会を開いていました。 弁天さまのかなでる琵琶の音に合わせて
上手に歌ったり踊ったりした魚には、素晴らしいごほうびが出るのです。

さて、一番最初に現れたアユたちは、月明かりの中で銀色の姿をキラキラさせるだけで、歌も
踊りもしません。 
アユは自分の姿がきれいなので、弁天さまはそれだけでごほうびをくれる
だろうと思ったのです。
二番目に現れたフナたちは、久しぶりに仲間が集まったので、おしゃべりばかりしていました。
三番目のコイたちもパクパクさせているだけで、歌も踊りもちっとも上手ではありません。

がっかりした弁天さまは、琵琶をひくのをやめて言いました。
「誰か、もっと上手なものはおらぬのか?」

すると琵琶湖の底から、黒いものがゴソゴソと顔を出しました。
ナマズたちです。 ナマズたち
は、弁天さまに言いました。 
「あの、わしらにもやらせてください」

それを聞いて、ほかの魚たちは大笑いです。
「あはははは。あんなかっこうで、どうやって踊るんだい?」「そうさ、口も大きすぎて、歌なんか
歌えやしないよ」

けれど弁天さまはナマズたちにうなずくと、また琵琶を弾き始めました。
ナマズの大将が、はりきってみんなに言いました。 「さあ、みんな、弁天さまに、今まで練習
してきた歌と踊りを見ていただこう」
「おーっ!」 ナマズたちは琵琶の音に合わせて、歌いなが
ら踊り始めました。

♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ♪ズンドコ ズンドコ♪ズイズイ ズイ

歌も踊りも上手ではありませんが、見ているとなんだか楽しくなってきます。 
弁天さまは、にこ
にこ笑って琵琶を弾きました。 
そしてナマズの歌と踊りが終わると、弁天さまはナマズたちに
言いました。
「お前たちの歌と踊りのおかげで、今日は本当に楽しい夜でした。 ほうびは、お前たちにあげ
ましょう」 
弁天さまから今まで見たこともないごちそうや宝石をもらって、ナマズたちは大喜び。

・・・中略・・・

この時から竹生島にはたくさんのナマズが住むようになり、弁天さまをお守りするようになった
そうです。
福娘童話集より)



近江の伝説

「(竹生島は)浮島で下は湖底につながっていないという説がある。 越前の漁夫が潜水して
その元を確かめに。 人々は下に龍がいて、潜った人は帰ってこないからやめろと止めた。
でも行く。 午前十時開始で戻ってきたのは日暮れ時。 龍はいないが巨大なナマズが群れて
いたと」

「琵琶湖には鯰がたくさんいる。 竹生島の弁財天は鯰がお気に入りで、中秋の名月の夜は島
の北岸の砂浜の上へおびただしい鯰が上がってきて跳ね回る」

逆さ読み『風土記』番外編 竹生島と湖北の伝承より




おまけ: 伝説はこうして創られる アメリカの巨大ナマズ伝説  
アメリカ国内で伝わる話 (legend) に、「ダムの底に棲む巨大ナマズに、補修のためにダムに
潜ったダイバーが出くわした」というのがあるそうです。 いま見ている筑紫の伝承に比べれば
比較的最近の噂話ですが、だからこそ、伝説というものがどうやってできるかを考えるのに
恰好の手がかりになりそうです。

大ナマズ伝承とは、「暗くて深い淵の底に主がいる」型のひとつで、目撃談がくっついて案外
容易に成立する感じがしました。 Cat o' Nine Tales より、ちょっと面白かった部分を翻訳して
みました。



典型例1:
発電所の取水口の清掃作業中のスキンダイバーらが、救命救護班の手によって視界のない
泥水の底から救助された。 発見時、彼らは意識不明で漂っており(一人は数日間こん睡状態
だった)、後に語ったところでは、彼らは大ナマズに遭遇し、仲間の一人はその巨大な口に
吸い込まれてしまったが、最後は吐き出されたのだという。

典型例2:
ダムの補修作業員が、ダムのひび割れ調査のためにダムに降りた。 彼はそこでフォルクス
ワーゲンの「ビートル」を一飲みにできそうな、巨大なナマズを目撃した。
彼は泥水の底からはい上がったが、その仕事は二度とやらなかった。


<伝説のバリエーション>
こうした伝説的なナマズがいた場所は、ジョージア州の採石場、テキサスの湖沼、コロラド川
など。 伝説は、アメリカの南部、中西部、南西部にかけて、地元で実際に起こった話として
数十年語り継がれている。

レアケースとして、ナマズが 鯉かキタカワカマス(pike)になってることもある。

話し手は、通常「あそこへはもう絶対行かない!」といって、さらに、
「軽トラックくらい」とか、「人間を丸呑みできるくらい」「一度に何人か飲み込めるほど」といった
具合に、その大きさをイキイキと説明する。

ナマズは、単にダイバーを見るだけではないことも多い。 脚をムシャムシャ食べる、あるいは
何もしないが、それを見たショックでダイバーが白髪になってしまう。


<伝説の元話>
1950年代初め、水中救護隊が地元のダムの近くで、深みに突っ込んでしまった車から運転手
を助けようとした時のこと。 車のドアを開けて、中から運転手を救出しようとしていたら、巨大
な影が威嚇するようにダイバーたちの傍を通り抜けた。 ダイバーがギョッとして目を上げると、
なんと、フォルクスワーゲンサイズのナマズが車を監視していた。
ダイバーたちは、その現場から数百フィート上に引き返したが、車と運転手はいまでも巨大
ナマズの巣である湖底にある。

伝説のナマズのサイズは、年々大きくなっていて、60年代はフォードファルコンと言ってたけど
70年代はフル規格のビュイック、最近はウィネベーゴよりちょっと小さいくらい(笑)。

フォード ファルコン


ビュイック エステートワゴン


ウィネベーゴ トレンド





次回はそろそろ、志賀海神社と賀茂神社のつながりについて語りたいと思います。


※追加メモ
琵琶湖、竹生島のナマズは、
先に書いたように、海神・水神のお使いとしてのナマズ伝承の最後の砦とみることもできるし、
時の政権によってナマズが龍に取って代わられたことを示しているのかもしれない。
いずれにしても、ナマズをトーテムとする氏族の政治的勢力が暗示されているような気がする。

鹿島神宮の要石は磐座ともいわれており、ナマズや地震との関連で語られるのは、安政の
大地震の際に出回った鯰絵がきっかけだったと思われる。 が、そのときになぜ地震の理由
として、龍ではなく、鹿島神とナマズとの関係が持ち出されたのかは、疑問として残る。

龍と地震との関係でいえば
伊豆山~箱根芦ノ湖の地下で交合する赤龍(火、マグマ)・白龍(水)が温泉を湧き出させる
伝承が「走湯山縁起」によって有名である。 
若有善悪之事、先兆必先震動此山岳是此神龍致喜怒時也、此即権現霊体也、・・・
善悪之事」があれば、必ず予兆として伊豆山が震動する。それは、この神龍が喜怒すること
で起きる。
熱海は、古代「あつうみ」と呼ばれたらしい。「あづみ」との関連。