怖れや怒りを基準にすると、響かないよ | まーりんのまりんエッセンス

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魂・心・体に響き渡る、これから先の時代のエッセンス
「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語


ちょっと前の話になりますが、ホメオパシーの学校の由井学長から聴いた話。
原発反対運動の先頭にたっておられた方が、体調を崩して由井学長の相談会に
みえたそうです。由井学長は、この方の病気の原因は単なる疲労ではなく、何か
に強く敵対する心から生じたのだと感じたそうです。
以来、学長は、「何かに強く反対する(とらわれる)と、体をボロボロにしてしまう」
と口にされることがありました。

これは、原発に反対することが悪い というわけじゃなく、
また体を壊すから、怒るのもほどほどにね というのも
的を得ていないと思うのです。


怒りが血中にモルモットであれば致死量に値するほどの毒をつくりだす、という
ことは周知のこと。
しかしそこから

じゃあ 怒らないようにして、常に穏やかで「いい人」でいよう、
どちらか一方に傾く言動は避けよう と先回りすることは
ちゃんと解決になっているだろうか。

本来は、原発反対の意思表示や、行動を行うことは問題じゃない。
原発が推進されることや推進派の人達に対する怒りや敵対心が
心のバランスを崩している。

(※推進派の人は立場を逆に入れ替えてね)

怒りや怖れという感情を入れずに、
自分がやるべきだと感じたら淡々と実行する。

もしもそれがやれるなら、病気にはならないはずです。

『アトランティスの叡智』等の著作で、ゲリー・ボーネルは、それを
葛藤がない状態と呼びました。
本質的に、この世の物事に いい/わるい はない。 
しかし思念にはパワーがあり、葛藤がなければ、思いは容易に現実化する。
もしもヒットラーに葛藤が全くなければ、彼の第三帝国は成就していただろう。
(この世は、やったことの正邪が即、因果応報という単純な図式でできておらず
やるときに葛藤がなければ、これも宇宙法則の別の側面として とりあえずは
実現してしまう)

ここでのカギは、自分が崩壊しないようにするためには
心の中に一点もネガティブな要素を入れない(葛藤をもたない)
状態を保ち続ける
こと。


日木流奈さん重度の脳障害を抱えながら、文字盤を指すことによる執筆活動
で、人々の反響をよんだ少年。現在は23歳の青年でいらっしゃいます
)が、
2011年5月に 原発の今後や代替エネルギーに関して
訊かれて、このように
語ったそうです。


原子力も、やっぱり、いい悪いから、私の中ではじつは外れています。 
しかし、基本的に、私個人的には作らんでほしいというのが本音です。
だって、単純に怖いもん。 
しかし、科学者の中には、安全であると言う人もいます。真実味無いですけどね。 
でも、どう安全か、聞きたいとは思っています。 
ここで責める思いではなく、きちんと聞く耳を持てるかどうかなんです。
責めていると、相手は絶対、本音を言いません。相手の気持ちを聞きたかったら
——本音を、と言ったらいいかナ——、こちらがプレーンに聞くことができる
というのが絶対条件です。 
私はきっと無理です。怖いから。できる人、やってほしいナ。 

(相変わらず流奈くんの言葉は)深いな、と思います。
原発だけじゃない、何事でもそうですね。


小さな例ですが、わたしもそんな体験をしました。
山手線に乗ったら、その車両には小学校高学年とおぼしき制服の男の子たちが
5人騒いでいました。3人は優先席に座ってさかんにおしゃべり。と、その脇に、
おばあさんが立っているじゃあありませんか


もうね「君たち・・・」と冷静に話しかける以前に、すんごく腹立って

ああ~今口を開いたら、わたしはただ怒鳴ってしまう~


いや このシチュエーションで怒鳴るのが悪いとは思いません。
しかし、多くの人の面前でいきなり怒鳴られて、この子たちは一時的にバツの
悪い思いをするだけなんじゃないかと感じました。
(もしも、おばあさんに気づいていて罪悪感があれば、素直に従うと思うけど)

怒りで怒鳴ってはいけないんだよね。部活の顧問の先生みたいに。
でないと響かないんだ。
こんなバカを怒鳴りあげる「街のおばさん」と化すにも それ相当の力量=
必要
なのでした。