どうせこういう私がしあわせそーにしているような、のほほんとした話はみんな求めてないだろうけど…。記録のために。


今日も、全然眠れなかったからぼんやりと窓から葉っぱの香りを嗅いでいた。私は植物の匂いが一番好き。そしてその植物の匂いが、一番多く撒き散らされる夏が、いっとう好き。

そんなことをぼんやりと考えていたら、ちょうど今から朝日が登り始めるのだと直感的に感じた。


その時、急に思い立ち、靴下を履いて上着を探して、制服から鍵を取り出して真っ先に外に出た。


まだみんな寝静まっていて、ぼんやりと訪れた公園には誰も居なくて何となく、気分が良かった。


その時、昨日読んだ「ある15歳の死」で、ニン・クが夜に、思い出の公園に訪れてブランコに乗ろうと試みていたことを唐突に思い出し、私は一目散でブランコを探した。

乗ってみたかった。彼女が乗れなかったブランコに。

ブランコに乗れば彼女と何かシンクロするかもしれないとも考えた。


久しぶりに見つけたブランコは私の中の記憶にあるそれよりも、もっと低く設置されており、今の時代への移り変わりを感じさせた。


ヘッドフォンで例の『Sit Next To Me』を流し、私は思いっきりブランコを漕いだ。


40年前の中国で、あんなにも彼女が乗りたがっていたブランコ。



それを私が勝手に楽しんで、勝手にカタルシスに浸るのはただのエゴだ。



ただただブランコは気持ちよかった。

大好きな、曲のサビに入るときに大きく漕ぐと、不思議な快感がいくつもあった。


私は生きているんだと思った。


恵まれている国、恵まれている家庭に生まれた私は私よりずっと賢かった彼女を置いていき、勝手に生きていく。


生理で、強く漕ぐたびに少しだけ腹痛が過ぎった気がしたが、そんなのどうでも良かった。


彼女は生きたがっていた。


でも彼女はもういなくて、当時は存在していなかった私が生きている。


これが世の中なんだと思った。




ブランコを漕いで一通り満足したら今度は大好きな植物を探した。


赤い小さなさくらんぼのような実を見つけた。嬉しかった。


3つ、きれいなのを拾いポケットに転がし、帰路に向かった。


道中、散歩途中のおば様と出会い、少し話した。

普段見かけない私を見つけ不思議そうな顔をしていた。

散歩に来ているのかと訪ねられたので、そうだと答えると、『頑張って』みたいなことを返された。



ニン・クが出会えたのはブランコに乗れなかった彼女を、罵るおじさんだけだった。


私は恵まれている。

本当に酷い話だ。


世界の残酷さを肌で実感した。


でもなぜか心はポカポカした。


本当に酷い奴。


拾った樹の実はよく洗い、私のブログのアイコンにしているドライフラワーの瓶の中に転がしておいた。


虫が入っていたらどうしようとも思ったけどその時はその時だ。



今日は美術があったはず。少し寝よう。


今日の経験をした私の描くりんごはきっとみんなのものとは違うだろうとぼんやり感じた。



2024.7.19