私は花屋さんで生花を買う時が幸せ。
もう地面から切り離された余命幾ばくもない短い花たちが、せめて最後までと余力を振り絞って必死に美しさを保とうとしているような…あの独特の痛々しさも含めて美しいと思う。
そんな美しい花をゆっくりと吟味して、最後の時を我が家で共に過ごし、少しの癒やしを与えてくれる子を探していく。
そして、最後の余力も全て使い果たした花たち。
本当は捨ててしまってもいいんだろうけど、私は変なところでねちっこいから亡くなってしまった花でも、この花がこの世に存在してたという跡を消してしまうようで忍びないから…とドライフラワーにする。
別に花からしてみたら勝手に命を奪っておいてその後から最後の時間だの、この世に存在したことだのどうでもいいかもしれない。これは私が勝手に自己満足に浸ってるだけなんだよなぁ。
だから私は自身の勝手な都合で、花たちのミイラ化した体を細かく分けてきれいな瓶に入れてアロマを少しかけてうっとりする。
やってることだけで言えばホルマリン漬けとあまり変わらない。
ドライフラワーをインテリアとかポプリなんておされな呼び方をするのもいいけど、、よく考えてみるとグロと美を併せ持ったお洒落インテリアなのよね。
それから作った人のエゴ付き。
そんな私達を植物達は、花たちは、どう感じているのか気になるからピーター・トムプキンズとクリストファー・バードの『植物の神秘生活』を早く買って読んでみたい…とドライフラワーを見ながら思ったりして。