高松城(たかまつじょう)は、香川県高松市(旧讃岐国)に位置する城郭で、別名「玉藻城(たまもじょう)」とも呼ばれます。愛媛県の今治城、大分県の主島(中津)城と並び「日本三大水城」の一つに数えられ、海水が直接掘に引き込まれている全国的にも極めて珍しい海城(うみじろ)です。

 

高松城の歴史と変遷

生駒親正による築城

1587年〜

豊臣秀吉の四国征伐後、讃岐国を与えられた生駒親正(いこまちかまさ)が入封。瀬戸内海に面した要衝の地「野原」を「高松」と改め、1588年から海水を取り込んだ平城の建設に着手しました。

生駒騒動と改易

1640年

4代藩主・生駒高俊の代に、御家騒動(生駒騒動)が勃発。幕府から統治能力を問われて出羽国(秋田県)へ改易・流罪となりました。

水戸徳川家の分家・松平氏が入封

1642年〜

水戸徳川家の一族(徳川光圀の兄・松平頼重)が12万石で入封。城の大規模な改修を行い、重厚な三重四階の天守や櫓群を整備して、西国の外様大名を監視する重要拠点としました。

天守の解体

1884年

老朽化や明治の廃城令などの流れを受け、名物であった三重の天守閣が解体されました。天守台の石垣のみが現地に残されることとなりました。

玉藻公園としての整備と天守再建計画

2000年代〜現在

現在は「玉藻公園」として親しまれており、月見櫓や水手御門、渡櫓などが国の重要文化財に指定されています。近年では天守台石垣の解体修復工事が完了し、天守本体の木造復元に向けた調査・整備が進められています。

 

登場する主要人物とその歴史

1. 生駒親正(いこま ちかまさ)

豊臣秀吉の信望が厚かった「豊臣三中老」の一人。織田信長・豊臣秀吉に仕えて武功を挙げ、讃岐17万石を与えられて高松城と城下町の基礎を築きました。関ヶ原の戦いでは自身が西軍、息子の生駒一正が東軍に就くことで生駒家の存続を図りました。

2. 松平頼重(まつだいら よりしげ)

水戸藩主・徳川頼房の長男で、「水戸黄門」として知られる徳川光圀(黄門様)の実兄にあたります。本来は長男である頼重が水戸家を継ぐはずでしたが、様々な事情から次男の光圀が水戸家を継ぎ、頼重は高松松平家の初代藩主となりました。高松城の大改築や城下町の水道(高松上水)整備を行うなど、卓越した民政を行いました。

3. 徳川光圀(とくがわ みつくに / 水戸黄門)

頼重の実弟。頼重の子(松平頼常)を自らの養子として水戸徳川家の跡継ぎとし、逆に自分の子を高松松平家の跡継ぎにするという「兄弟間での互いの養子縁組」を行いました。この深い絆により、高松藩と水戸藩は幕末まで極めて密接な関係を保ち続けました。

 

城郭の特徴・見どころ

  • 日本最大級の本格的海城(水堀):水堀には瀬戸内海の海水が直接流れており、干満の差によって堀の水位が変動します。堀の中には鯛(タイ)やヒラメ、チヌなどの海水魚が泳いでおり、名物の「鯛のエサやり体験(鯛願成就)」が楽しめます。
  • 水手御門(みずてごもん):海から直接船で城内に乗り入れることができた日本唯一の海門構造を持っています。
  • 月見櫓(つきみやぐら):出入港する船を監視する役割(着見櫓)を果たしていた現存の三重櫓。北大手門や渡櫓と一体となった堅固かつ優美な姿を現代に残しています。
  • 披雲閣(ひうんかく):大正時代に松平家の別邸として建てられた壮大な伝統和風建築。国の重要文化財に指定されており、皇族の宿泊所としても使用されました。