昨年の終盤から、もう最悪!なことが、
いくつも起こりました。次々と起こりました。
もう、ほんとうに。
筆舌に尽くしがたい、苦痛・悲しみ・屈辱・嘆き・失意・・。
最近は、ああ、「人生が大きく変わっていくなぁ」と実感しています。
(もう立ち直ってます。
だからこうして書けているので大丈夫です。
すごい自己開示してるな、私)
さて、そんな「もう最悪!」なできごとの数々、
これは宝になります。
あのね、これ、したくてする経験じゃないからね。
絶対に、求めて得るものじゃないから。
だって「最悪」なできごとですから。
だからこそ、貴重な体験でもある。
たいていは、自分が招いたことであることが多いのですが。
自分がしたことが原因で、巡り巡って、
それが時間差で結果としてやってくる。
(これ、私のクライアントさんのセリフ)
ちょっと横道にそれました。
この「最悪」がなぜ「宝」になるのか。
強烈に苦しい体験をすると、苦しい人の気持ちがわかるようになる。
苦しい人のメンタリティ、心性がわかりますよね。
文章を書くために、私たちは、何を理解しているべきなのか。
「人の感情」だと思います。
人が読む文章を書くのですから。
楽しい、嬉しい、純粋に誰かを思う気持ち、
達成感、いたずら心、せつなさ、さみしさ、
悔しさ、郷愁、憂い、憎しみ、不安、恥、
どれも、体験すること以上の理解はありません。
苦しみぬいている主人公が出てくる小説を読んでもね、
心理学者の解説を読んでもね、
なーんか、わかった気になるだけ。
自分が体験して、ぎゅーっと胸がしめつけられて
息もできないような思いをして、
涙も出てこないショックを受けて、
泣いて泣いて、涙がとまらない時間も過ごし、
誰かを憎んだり、自分を責めたり、悔し涙を飲んで諦めたり。
そういう経験を自分が身をもって体験して、
はじめて腹の底から、理解できるというもの。
できるだけ避けたい「最悪なできごと」も、
「なんだったら、死んだ方が楽だわ」
と思うくらいの痛みだったとしても、
生きる理由があったのなら、
せっかくのその体験を、しっかりと味わい尽くす。
私たちは社会的な動物です。
人間関係は生命線です。
自分が苦しい苦しい、と嘆いているばかりではなく、
その気持ちを、じっくりと体験して「人の気持ち」を理解する礎にする。
そして、
苦しんでいる人を思いやる優しさに変えて
生きていきたいものですね。