『現代語訳 論語と算盤』 渋沢栄一 守屋淳訳 2010年(原著は1916年)
渋沢栄一って「財界の大物」というざっくりなイメージしか持っていなかったんですけど、約470社の会社と500以上の慈善事業の設立に関わり「日本資本経済の父」、「実業界の父」と呼ばれるという、とても一人の人間の業績とは信じられないような経歴の持ち主なのですね。青年期には幕末の尊皇攘夷運動に加担したと知り、そんな時代の人だったのかとビックリ(しかもその後に徳川慶喜に仕えたと知り二度ビックリ)。
そんな渋沢翁の思想の神髄とも思われるのが、この『論語と算盤』。著作ではなく、講演会での口述だそうです。
論旨はタイトルに集約されていて、「論語」は道徳的な教え、「算盤」は利益を追求する実務。この二つは一見相容れないようでいて、両者を併せ持たないと社会は荒んでしまうということ。
「和魂漢才」をもじった「士魂商才」というフレーズを序盤で出してそのことを語りますが、第8章「実業と士道」でも「武士道が日本の代表的な長所だったにもかかわらず、古来もっぱら武家社会だけで行われ、商人が重んじなかったのは残念だ」と述べています。
現代においても教育が知識偏重で道徳を軽視していることを危ぶみ、
「昔の学問と今の学問を比較してみると、昔は心の学問ばかりだった。一方、今は知識を身につけることばかりに力を注いでいる。」(p.192)
と仰っています。
とはいえ知識を得る勉強を軽視しているわけでは決してなく、両者のバランスが大事なのだということを終始繰り返し述べている印象でした。
そのことばかりでなく、「お金の無駄遣いは戒めるべきだが、ケチにはなるな」など、人格的にトータルでバランス感覚が非常に優れていたことが察せられますし、だからこそ彼が他人から慕われて大きな成功を収めることができたのでしょう。
しかし渋沢栄一に言わせると成功なんてものは結果として生まれる「カス」であり、物事の本質は「イノチ」。
成功か失敗かという結果ではなく、人として為すべきことを誠実にひたすら努力することに価値があるということです。
約100年前の講演なのに、現在でもほとんどそのまま通用する内容でした。それだけ普遍的な教えが語られているのでしょう。
小・中学校の義務教育のうちに国民全員に読ませたほうが良いと思えるほどオススメです。今はどうなのか知りませんが、私が受けた道徳の授業は形ばかりのお粗末なものでしたから。
まさに、心の学問。
渋沢翁は2024年の新紙幣の肖像に選ばれましたが、『紙幣の日本史』によればこれまでも何度か候補に挙がったことがあったそうです。ただ、当時の技術ではヒゲがない人物は偽造されやすいという理由で却下されたのだとか。
来年のNHKの大河ドラマの主人公にも決定しているそうですけど、このコロナで無事に撮影ができるのでしょうか。