『マグダラのマリアによる福音書』 | Wind Walker

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マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒

 

『マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒 カレン・L・キング著 2006年

 

 

聖書って『聖書』という本を出版するために書かれたのではなくて、いろいろな人が書いた文書を一つにまとめたものなのです。

 

つまり、そこに採用されなかった文書も思いの外たくさん存在しているのですよ。(神学者のクリストフ・マルクシースによると、最初の200年でキリスト教文書の85%は失われたそうです。)

 

『マグダラのマリアによる福音書』もその一つで、1896年にカイロの骨董市場でドイツ人学者のカール・ラインハルト博士が一冊のパピルス本を購入したことで発見されました。

 

 

それは全体の1/3にあたる最初の6ページが欠落した断片なもので、本書の日本語訳で10ページ分しかない短いものですが、その内容はちょっと衝撃的です。

 

 

「すべての被造物は相互に関連して存在する。」とか、「罪といったようなものは存在しない。」とか、「まことの人の子は、あなたがたの内側に存在するのだから。それに従いなさい!」とか、教会で説かれるような教えよりも遥かに理性的で納得のいく教えが語られており、イエスの最大の理解者は男性の十二使徒たちではなく彼女だったのでは・・・と思ってしまう内容。

 

使徒のアンデレは「これらの教えはなじみのない考え方である。」と言い、ペテロがイエスが自分たちの知らないようなことをなぜ彼女にだけ教えたのかと詰め寄ってマリアを泣かせるというサイテーな場面も書き残されていて、マグダラのマリアに関する記述が聖書の中で妙に少なかったり、後にマリアが娼婦として伝えられるようになったり、男性陣が彼女を軽視する意図が当初からあったのではないかということも伺えます。

 

 

『マグダラのマリアによる福音書』で紹介されるイエスの教えはブッダの教えとも似ていますし「聞く耳のある者は聞くべし!」という決め台詞が連呼されるのもお経みたいです。

 

聖書には荒唐無稽な話も多く、長い歴史の中で何度も改竄されたというので、個人的には信仰の対象としてはあまり見れないでいましたが、聖書から漏れたおかげで改竄を免れた古文書の中にこそ本来のイエスの教えが残されていることもあるかもしれないなぁと目から鱗でした。

 

この福音書がマグダラのマリア本人によって書かれたというわけではないのですけれども、この文書が完全な形で残されていないことや彼女がイエスの後継者として認められなかったことが本当に残念に感じます。マリアこそむしろ、イサクです。

 

しかし失われたものを嘆くのではなく、残されたものを受け取れることを感謝するべきなのでしょう。聞く耳のある者におすすめ。

 

 

 

 

 

さて、かの世界的ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』は大多数の日本人にとっては単に海外でバカ売れした小説に過ぎませんでしたが、実は『マリアによる福音書』や『フィリポによる福音書』といった新訳聖書外典の新しい研究成果がかなり正確に盛り込まれていて、それもあって海外ではあんなに話題になっていたそうです。

 

私も当時読んだはずなのですが、謎解きに次ぐ謎解きに「いい加減にしろ」と思ったこと以外はほとんど何も覚えてないので、もう一度読むべきなのかしら。