『マザー・グースの唄―イギリスの伝承童謡』 平野敬一著 1972年
以前のブログで言及したように、マザー・グースは英米の文化の根底に浸透しているものなのですが、日本での認知はかなり低いと言わざるを得ません。
北原白秋や谷川俊太郎といった優れた詩人が翻訳してきたのにもかかわらず、です。
でもこの本を読むとその理由はハッキリします。
まず一つには、日本のアカデミズムが「童謡は子供向けのもの」という根強い偏見からずっと無関心であり続けてきたこと。
そのために英語圏の人には子供でも分かるようなニュアンスも、日本ではいくら辞書を調べてみても全く分からない、という状況なのだそうです。
もう一つは、本書には英語の原文と翻訳された訳詞の両方が掲載されているのですが、一流の詩人が翻訳したものであっても日本語で読むと残念ながらそんなに面白くないという点でしょう。
これには理由があって、英文では韻を踏むために「意味」よりも「語感」を優先していることが多いので、それを外国語に訳しても本当にただ意味不明なだけになってしまうのです。
マザー・グースの唄は意味不明なばかりか、不道徳で、ときに残酷なものも少なくないのですが、それに対する著者の慧眼が素晴らしい。抜粋すると、
「しかし私にいわせると、まさにこういう好ましくない事がらが、ほとんど無尽蔵に含まれているからこそ、伝承童謡は久しく愛好されてきたのだし、その貴重な社会機能(精神のバランスをとる)を果たしえたのである。すべてを衛生無害な文部省推薦的な『よい子の唄』に書き直してしまったら(そんなことは起こりえないが)、とたんに伝承童謡としての命脈は絶たれてしまうだろう。」
「とにかく道学者や宗教家や、偏見の表現を抑止すれば偏見の現実は消え去るとでも思っているらしい進歩的人道主義者などからの攻撃や批判を受けながらも、そうじて伝承童謡は、そういうものを黙殺したり軽く受け流したりして、極端な修正を拒否してその実態を守ってきたといえる。」
・・・う~ん、良いですねぇ。「インディアン」を「ネイティブアメリカン」に置き換えるような言葉狩りをして溜飲を下げる「進歩的な」大人たちに聞かせてあげたいですね。
そんな訳で、この本はかなりおすすめです。
気に入った or 気になる歌詞の唄があったらYouTubeで検索してメロディーを聴きながら読むと尚、楽しいのですよ。便利な世の中ですね。
ちなみに私が気に入った歌詞は、実は人柱の存在を暗喩しているかもしれないという『ロンドン・ブリッジ』も好きですが、『ハバードおばさん』という唄ですね。
ハバードおばさん やおやへいった
いぬにフルーツ かうために
けれどもどってきてみたら
いぬはフルート ふいていた (谷川俊太郎訳)
She went to the grocer's
To buy him some fruit;
But when she came back
He was playing the flute.
100点満点つけたいぐらいナンセンス。