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4つの州をまたがってレンタカーであちこち走りましたが、全走行距離は2,280マイル(≒3,670km)。だいたい日本を一周する距離ですね。
いやー、走った走った。アメリカはやっぱり広いなぁ。
さて、昔セドナに住んでいた頃はテレビを観ていなかったので今回ホテルのテレビで天気予報を観ていて初めて気がついたのですが、「降水確率」のことを英語で「Chance of Rain」というのですね。
日本語で「チャンス」というと好機、すなわち良いときにだけ使いますが、英語だと良いも悪いも含めて単に「可能性」という言葉なのでした。
しかしそれを知っていてもなお私には良い意味に聞こえてしまうのですが、それというのも雨をつかさどるカチナ(精霊)に祈りを捧げ、砂漠の中でトウモロコシを育てているホピに行ってきたばかりだからなのかもしれません。
我々は水の豊富な国に生まれ育ち、蛇口を捻ればきれいな水がいつでも出てくるので雨(=水)のありがたさをきちんと理解できていないということに、インディアン居留地を旅すると気がつかされます。
水は生命にとって必要不可欠なもの。自然界にとって、雨はまさに天からのアメイジング・グレイス(驚くばかりの恩寵)なのでしょう。
今作っているCDはネイティブのトラッドばかりを集めた作品にしようと思っていたのでオリジナル曲を入れる余地は本来無いのですが、雨を讃える曲を無性に作りたくなりました。
前作『All My Relations』で「Inner Truth」という曲を作品の中核に据えたように、今回も「雨の曲」を作品の核とすることでアルバム全体に生命が育まれるのではないかと思い始めています。
それとも、そんなことしたら1曲だけ浮いてしまうかな?
ところで私がセドナを発った数日後、セドナ郊外の森林で21,000エーカー(≒85km2)を超える大規模な火災が発生し、10日間たった今もまだ燃え続けているそうです。
実はセドナに滞在中、川の音を録音するためにその森を訪れました。
一日のうちでもっとも空気が澄み、もっとも鳥が鳴く、夜明け前の時間に。
録ったものを聴いたら、鳥があまりにもたくさん鳴いていて、まるで熱帯雨林のジャングルのようなすごい音になっていたのですが、あの鳥たちも今は行き場をなくして困っていることでしょう。もうあの大合唱はしばらく聴くことが出来ないのかな・・・。
どうかセドナの森に雨が降りますように。
雨が火を鎮め、新たな生命を育み、また美しい森が蘇りますように。