『神々の流竄』 | Wind Walker

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ネイティブアメリカンフルート奏者、Mark Akixaの日常と非日常

神々の流竄 (集英社文庫)

『神々の流竄 梅原猛著 1985年(論文の初出は1970年)


結論から先に言うと、この本はものすごく面白い!

推理小説というのが、探偵が難事件を意外な発想でスラスラ解いていくさまを楽しむものだとしたら、これは紛れもなく推理小説であり、今まで読んだ中で一番面白いかもしれない推理小説。(架空の人物が密室や不可解な状況で死んだ、ということにそれほど関心が持てないもので・・・)


内容はというと「出雲神話の舞台は出雲ではない」ということ。

藤原不比等(また出てきた・・・)の頃に日本で大規模な宗教改革が行われ、地方神に過ぎなかった伊勢神宮を国家の神とし、古い神々を対極の山陰に流した。こうして出来たのが出雲神話であり、出雲大社。という推論。

第二部では「イナバのシロウサギ」の舞台が因幡でもなければ、「白い」ウサギでもないし、メルヘンでもない。という奇想天外な話が炸裂する。


強引だが説得力のある文章にグイグイ引き込まれるのだが、著者自身が15年後に書いた「あとがき」では本作を「私の一生のうちで、もっとも未熟な論文」とし、「現在の私は懐疑的である」と告白している。

「この論文は、私の書いたもののうちで、もっとも熱狂的なものであるが、もっとも冷静さを欠いたものであるといわねばならぬ。何年ぶりかにこの論文を読み返してみると、ちょうどそれは、激しい恋のさなかにうわごとのようにささやいた恋文を、恋のさめた時に読み返すような、ひどく気恥ずかしい気がしたのである。」

本作は哲学者であった氏が後に開拓することになる独自の東洋史へと足を踏み入れた、ごく最初期に書かれたもの。

だからこそ文章に異常な熱量が凝縮されてもいるし、他人がうっかり公開してしまった「熱狂的な恋のうわごと」が面白くないわけがない(笑)

未熟である、ということは大いなる魅力である。ということが分かる一冊。

 

 

 


ところで、私の処女作であるミニアルバム『Eagle Song』の在庫がなくなったという連絡を受けた。

再プレスするか否か検討するために改めてじっくり聴いてみた結果、あまりの未熟さにひどく気恥ずかしくなったのでこのまま廃盤にすることに決定。