『津軽』 太宰治(1944年)
太宰治が36歳で帰郷したときのことを書いた、紀行文風の私小説。
太宰文学のイメージとしてつきまとう暗さや重さはここになく、同世代のユーモラスな青年としての等身大の魅力が溢れている。
音楽作品でも名作、傑作とは呼べないものの、でもなぜかそう呼ばれている作品よりも好き、というような曲と出会うことがあるが、『津軽』はまさしくそれ。
先日のノヴェンバーイレブンスでのライブ で東北をイメージした「蠍の火」という新曲を披露したのだけど、自分の実体験と宮沢賢治の他に、曲を練っていたときにちょうど読んでいた本書の影響も少しはあったかもしれない。
勉強不足のため、太宰が青森出身であることも、津軽のリンゴが明治から始まった意外と歴史の浅いものであることも、本書に触れるまで知らなかったな。
一番印象に残ったのは、序文の最後の文章。
「それらに就いて、くわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこの旅に於いて、主としてこの一科目を追求した。」
そして、本文の締めの1行。このわずか4年後に玉川上水で入水自殺を果たすことを考えると、まるで遺言のようにも響いてくる。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
