『リトル・トリー』 | Wind Walker

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ネイティブアメリカンフルート奏者、Mark Akixaの日常と非日常

 

チェロキー族の血を引く著者が自身の少年時代を綴ったとされる『リトル・トリー』(1976年)という本がある。

 

自然の息吹を感じる感動作らしいのだが、実は作者はチェロキー族でないばかりか、白人至上主義団体KKKの幹部であり、酒に溺れて金を稼ぐために書いたのが本書らしい。

 

 

当然、チェロキーの文化や伝統の記述もデタラメだ。

 

 

 

 

そのような情報を読む前に知ってしまったのでずっと未読でいたのだが、最近「この本が大好きなんです!」という人によく出会うので、読んでみた。

 

 

 

 

 

確かに本書だけ読めば、とても感動的な物語だ。この作品が好きという人が多いのもうなずける。

 

 

 

 

チェロキー族の文化によほど精通していなければ、どこがおかしいのか気づかないだろう(私は違和感を感じる箇所がいくつかあったけど、知ってて読んでたからだろうな)。

 

 

個人的にはインディアンものというよりは「お利口さんなトム・ソーヤー」とでもいうべき、古き良きアメリカを感じる作品だったが。

 

 

内容が素晴らしいだけに、これを自伝的な作品と信じていた人が著者の真実の人物像を知ってしまったら、確かにショックが大きいだろうなと思った。

 

 


聖飢魔Ⅱの1stアルバム『悪魔が来たりてヘヴィメタる』が、実は当時のメンバーの演奏力が未熟であったためにレコードでは代理のミュージシャンが演奏していた、という事実を後から知ったようなもの。

 

 

おかしいと思ったよ。だってセカンドアルバムのほうが下手なんだもの。
 

 

 

ちなみに北山耕平さんのブログに、本書のどの部分がチェロキーの文化への無知を示しているかを具体的にまとめてあるので、興味のある方はご一読してみては。

 

http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_da23.html