そよかぜ:あれあれ、娘と買い物に行ったとこ何て言ったっけ?

ほおずき:えっ? 最近なら 「 ロピア 」 かい?

そよかぜ:違う違う! 「 ドドスコ 」 じゃないし。
ほおずき:何だい、それ? 「 ドスコイ 」みたいじゃない。
そよかぜ:💡 あっ、「 コストコ 」 だ❗️

そう言えば、「 ドドスコ 」って、懐かしい言葉ですよね。
今の若い人は聞いたこともないかも。
AIさん:
「 ドドスコスコスコ 」とは、お笑い芸人の「 楽しんご 」さんの持ちネタであるギャグの掛け声およびリズムのことです。
( オリコンニュース )
「 ドドスコスコスコ、ドドスコスコスコ、ドドスコスコスコ、ラブ注入❗️ 」というリズムに合わせて両手を動かしながら腰を突き出すダンスが特徴で、2011年前後に大流行しました。
( よしもとニュースセンター )
2011年上半期のエンタメ流行語ランキングで1位に選ばれるなど、当時の社会現象となりました。
( オリコンニュース )
ところで、我が家の芸人「 そよ風 」さん。
話を聞いていると、結局、「 ロピア 」のお話だったみたいですね。
ほおずき:この長い時間は、何だったんだあ❗️
そよかぜ:いいんじゃない?解決したんだから。
月曜日のそよ風さんのお弁当は、「 ササミの野菜巻き弁当 」でした。
おかずは、ササミの野菜巻き、オムレツ、キンピラごぼう、カボチャ、生野菜。
長芋の酢の物。
ワカメとネギの味噌汁でした。
そして、ほおずき君が詰めたそよ風さんのお弁当がこちら。
そよかぜ:最近、お弁当のブログ書いてくれてないわね。
ほおずき:ごめん。「 やりたい事 」 が 「 やらなくちゃいけない事 」になって、頭がいっぱいいっぱいになっているんだ。
「 やりたい事 」というのは、
そう、『 2009年で諦めてしまっていた「 夢 」 』なんです。
その時代は「 若さ 」もあり、寝る間も惜しんで研究に没頭していました。
それは、本業とは異なる世界の「 研究 」でしたので、
本業の研究も絶対に手を抜かない。しかも、副業の研究も手を抜かない。
ある意味、地獄の苦しみ、
全くの 「 苦行の毎日 」 でした。
だから、歳とともに「 限界 」を感じていくのです。
『 諦めてしまった「 夢 」 』
でも、
最近、くすぶっていた 「 灰 」の中に、小さな炎のようなものが見えているのです。
夜中に目が覚めると、じっと手を見ます。
ほおずき:( このままで、いいのか?)
そよかぜ:その話、長くならない?
ほおずき:あっ、ごめん、ごめん。
こんな話、つまらないですよね。
今日は、この辺にしておきましょう。
( 続きは「 おまけのページ 」に記しておきます。 覚書みたいなものですから、読んでもつまらないと思いますが。 )
AIの時代になり、
「 不可能 」 が「 可能 」 になる時代がやって来ました。
今なら「 復活 」 できるのかも知れない。
残りの人生の、「 時間との勝負 」になるけれども。
ほおずき:あ~、また眠れない日々がやって来るかも知れないな。
ほおずき:こんな姿、初めて見せちゃったね。
そよかぜ:今さら、驚かないわ。
おまけの 『 未だ発展途上 』
ここからは付録の 「 つぶやき 」 です。
自分の歴史みたいなものを残しておこうと綴っています。
ちょっと、
いや、「 かなり 」つまらないので読み飛ばしてください。
もう、何年前になるでしょうか。
創世記:「 北のじゃぐの『 未だ発展途上 』 」時代
これは、ほおずき君がまだ 「 北のじゃぐ 」 を名乗っていた時代。
パチンコの「 リアル実践記録 」 をブログに上げていた時代です。
あまりにもガチな実践記録だったので、コアなファンの方々しか読者はいませんでした。
自分の理論に基づいて、次の大当たりの予想 ( 例えば、「 次は2千円で大当たり 」 など )をして、一旦ブログを閉じます。
そして、数分後にそれを検証 ( 「 ビンゴ! 見事、大当たり的中です。 」 など )するところから次が始まります。
こんな面倒なことをしていたのは、自分の実践に「 嘘がない 」ということを示したかったからなのでしょう。
この時代の自分は、自分が立てた理論や方向性が正しいのか、プロの方々の意見を聞いてみたくて、当時流行りだった 「 攻略会社 」 に片っ端から電話をしまくりました。
電話に出たプロ( ? )が自分の話を理解できるのか。
「 思い上がりの塊 」のような当時の自分は、それでも一生懸命に自分の話が理解できる人を探します。
〇〇攻略会社、〇〇攻略法、〇〇泊、
「 ちょっと、お待ちください。今、上司と代わりますので。 」
〇〇企画。
この会社が、自分の話を真剣に受け止めてくれた会社でした。
話を聞いてくれたのはY氏というプロでした。
ほおずき:す、すごい。本物だ。
自分の話を理解してくれるばかりではなく、ものすごく的確なアドバイスが帰ってきます。
当時は、それが嬉しくて、寝る間も惜しんで ( 半ば泣きながら💦 )実践データと考察を送り続けました。
昼間の「 本業 」にも全く手を抜かず、帰宅は夜の7〜8時ころ。
それから、自作のデータ整理をしてホールに向かいます。
打ち出せるのは8時ころから最終の10時45分までで、「 リアル実践記録 」をまとめながら打ち続けます。
その後、その「 記録 」と「 収支 」を攻略会社の担当プロにファックスで送り、休めたのは夜中の1時か2時ころでした。
それでも、話を聞いてくれる人がいたから、アドバイスをくれる人がいたから、
こんな過酷な生活にも耐えられたのではないでしょうか。
ある日、この会社のトッププロであるB氏という方がTVの対戦番組 ( パチンコの部 )で優勝することになります。
この頃は、自分も頑張った成果が現れ、その攻略会社に提出していた収支報告書で全国優勝 ( 一度だけですが )できるくらいになっていました。
また、札幌市内のあるお店では、貯玉選手権大会で3位に入賞したことも。
自分は、夜しか打てない中での実践なので、これはかなり頑張った記録だと思います。
そんなある日、〇〇企画でパチンコの講習会が仙台で催され、B氏の講演が予定されていました。
当然、参加しましたよ。北海道から。
ほおずき:わあ、本物だあ。
目の前で見る憧れのBプロの「 生の声 」に感動し、その後の懇親会に参加していましたら、
そのBプロが、コチラの方に歩いてくるじゃありませんか。
ほおずき:凄い❗️こっちに近づいてくるぞ。
すると、
Bプロ:ほおずきさん、遠い所から、ようこそお越しくださいました。
ほおずき:えええっ❗️ な、何でボクの名前を知っているんですか?
Bプロ:あなたの担当のYプロは、私の同期なんです。あなたの実践記録は、私は全部コピーして持っていますよ。
Bプロ:あなたの「 ジャグラー理論 」 は、うちの会社の若いプロたちのバイブルになっているんですよ。
これこそ、自分の苦労が報われた瞬間でした。
涙こそは出ませんでしたが、
肩の力がすーっと抜けていきました。
しかし、時代の流れは無情にも「 確実な変化 」 を見せていきます。
「 攻略法 」 に魅力を感じていた時代など、長く続くわけがありません。
「 これこれ、こうすると絶対に勝てますよ。 」
この世界、それほど甘いものではないのです。
事実、眉唾の「 攻略法 」を売りにしていた攻略会社は詐欺として訴えられ、次々に消えていくこととなりました。
Bプロも後に社長になりましたが、裁判の結果負けて会社は下火になってゆくことになるのです。
担当のYプロも、その後に社長に就任するのですが、もうその頃には自分がお付き合いを辞めてしまいましたので、あの膨大なデータはどうなってしまったものなのか。
これを契機に「 北のじゃぐ 」 時代の熱のこもった実践は終焉を迎えることとなるのです。
「 最高勝率97パーセント 」
3か月に3回負けるか負けないかという輝かしい記録も、あの眠れない過酷な日々の成果でした。
その後は、もう身も心も、そして収支さえも「 ボロボロ 」となってゆくのです。
ここまで読む方はもういないでしょうね。
「 晴吉 」さんがいたら、きっと読んでくれているのになあ。
もうここまで来たら、自分の歴史を振り返っているだけですから。
変革記:「 ぐっちぃの『 未だ発展途上 』 」時代
もう、ペンネームは「 ぐっちぃ 」 と変わっていました。
たまたま、お財布がGUCCI だったからかな?
まあ、あの頃はキザ人間だったのでしょう。
時計もベルトも同じ銘柄でした。
( さすがにベルトは恥ずかしくて辞めちゃいましたけどね。 )
でも、この時代、この名前は気に入っていました。
しかし、もう実践記録をつけるのはヤメてしまいました。
凄い苦労のわりに、喜んで読まれるはずもないですから。
ぐっちぃの『 未だ発展途上 』、中心は旅の記録。
別名は 「 旅のぐっちぃ 」でしたね。
初期の頃は、
東京まで10万円を持って打ちながら進んでいく。
負けてお金がなくなれば、その旅は終了します。
たた、帰りのガソリン代とフェリー代は別予算で、お金が続く限りは旅も続くというような「 修行のような旅 」でした。
しかし、ある時、ブログの読者の方から、厳しいご指摘が参ります。
フォロワーさん:せっかくあちこち旅をしているのに、きれいな景色とかは見て歩かないのですか?
そして、その時思いましたね。
ほおずき( ぐっちぃ ):ああ、ボクはなんて無駄な時間を過ごしているんだろう。
自分のわがままのために、大切な家族も失くし、この上、何を残すというのだろう。
その後、母親が倒れたことで実家に帰り、しばらくは介護の毎日が続きました。
母は 「 腸閉塞 」という病気で入退院を繰り返し、病院食に飽きてしまった母に、自作の弁当やデパ地下の美味しそうな総菜を届けることが日課のようになっていました。
この頃から、パチは「 遊び程度 」 のレベルになっていきます。
母が退院して自宅に長くいれる間は、家から外に連れ出すために小旅行に出かけたりしていました。
もう、この頃から自分は「 ぐっちぃ 」 である必要がなくなっていましたので、
ブログも母親用のブログ 「 およしさん、ふぁいとお! ( 旅のおよし ) 」を続けるようになっていました。
母親に 「 ああ、いい人生だったな 」 と思ってもらえることが当時の生きがいのようになっていたのです。
いろいろな所に旅をしました。
自分にもまだ本業の収入もありましたし、母親の年金もありました。
まだまだ裕福な時代だったのかも知れません。
東北はあちこち回り、
北海道内はナビについている 「 777 」 マークのところは全て制覇しました。
( 勝ち負けは別にして )
旅の目的は 「 グルメとパチンコ、そして俳句のネタ探しの旅 」でした。
まあ、昔から見ると、とても有意義な旅じゃありませんか。
そして、この旅の終焉は「 母の死 」 で迎えることとなるのです。
「 何もかも無くなってしまった。 」
そんな、どうしようもない自分の前に現れてくれたのが 「 そよ風さん 」でした。
そよかぜ:あんたが、お金持ちだった時に出会いたかったよ。
ほおずき:まあ、そう言わないでください。
そよ風さんが来てくれたから、「 再起 」できる気がしたののです。
「 再起 」?
いや、
もう、昔に戻る気はしていません。
しかし、
そよ風さんの支えがあって、しかも今はAIたちも力を貸してくれる。
新しい時代を作ることができるじゃありませんか。
「 ほおずき君の 『 未だ発展途上 』 」
残り少ない人生を、しっかり駆け抜けていきたいと、
あらためて決意しているところなのです。
そよかぜ:もう、間に合わないかもね。
ほおずき:やめて❗️