<NHKは教育番組を続ける気があるのか?>
・NHKのAM第2放送が無くなってからまだ間もないですが、とても寂しいと感じています。NHK高校講座はAM第2で流れていました。カルチャーラジオも流れていました。
現在の番組編成を見ると(FM放送)真夜中3時とか4時に配信されています。対して娯楽系の番組が日中に多い。どうなんでしょう?
近年では、本屋さんにいってもNHKの教材がとても少ない。基本おいてないと感じています。(十年以上前からその傾向はありました。)語学系に対するNHKの力の入れ方が変化しています。(昔は大人でも語学を勉強しようという企画が沢山あったように思います。)基礎学問に対する情熱のようなものをNHKから感じなくなっていました。
AMラジオを聞く世代は、年配者が多い。NHKは、採算の取れなくなったAM波を切り捨て、最終的にネット活用してください。それ以外は切り捨てます宣言と等しいのです。民営とNHKでは役割が異なります。NHKには国家的な使命役割が科せられています。昔のアナウンサーはとてもレベルが高かった。最近の放送を聞いていると?大丈夫かという発言も多いと思います。(発音を余り気にしなくなっています。伝わればOKみたいな風潮はいががなものでしょう。)
<放送大学>
・放送大学が始まったのは関東圏でした。開設が1983年です。当時地方にいた自分としてはとても興味を持っていました。昔はお金がなくて大学にいけないは普通にありました。私も初めは大学には通っていません。まずは稼ぐ事が先決。就職して稼いで自立する。多くの人がそうでした。
やがて、関東地方に転勤する事になります。当時の放送大学の内容はとても刺激的でした。会社の寮でも映ったので、良く見ていました。(記録がVHSの時代です。)ただ、当時は、仕事が忙しく仕事と学問の両立は不可能だったのです。特にシステム系の開発を行っていたので、ハードワーク、ハードシンキングは当り前の職場です。洋書の技術書を翻訳しながら学ばないと、ついていけない時代でした。毎年のように新しい辞書は購入していました。(今はネットで拾えます。)
専門書となると一万円は超えますが、給料の多くは本代に消えていました。職場で洋書の専門書からの英語を日本語に変えて、通信系の用語の定義を行い標準化したものです。(当時は、関東、東海、関西でそれぞれ開発していました。少人数の開発部隊が東京に集中していました。)
<それでも勉強は好き。>
歴史的な研究資料や、数学本(専門書は図書館から)、工学系の先端技術の本はいつも手元においていました。電車で座れると読書三昧でした。後輩からは、そんな難し本読まずに楽しみましょうよといわれましたが、勉強は好きだったのです。お金がなくては好きな勉強も継続出来ないのです。
<会社は人間を育てる。。会社もまた教育の場。>
なんだかんだで、最終的に早期退職しましたが、会社は私を鍛えてくれました。通信系はとても変化が早く、次の日には会社が分社化される。子会社になる。在籍出向から転籍出向に変わる。社名が変わる。まるで洗濯機にでも放り込まれたように昨日までの日常が、次の日には非日常へと変化するは辺り前の世界でした。基本、任された仕事には「ノー 出来ません。」は言った事がありません。しらない新しい事業でも、積極的に参加して勉強しました。異業種との交流は実務レベルで行うと、学ぶ事が多いのです。(視点が広がります。)会社を支えるのは社員一人一人の自覚なのです。
当時は、日本はアメリカとの貿易摩擦もあって、通信費が下がったこと、黒字の携帯事業と赤字の国内事業とを黒字で補っていた構造が、分離された事によって、赤字事業部門は新しい、新規事業の立ち上げを余儀なくされます。
ゼロからの開拓です。販路から、ノウハウまでOJTで身につけるしかありません。常に学び続ける必要があります。現場で血の汗、脳に汗かきながらもがいて、スキルを向上させるのです。特に関東圏の意識高い系の人達の勉強への熱量は半端ではありませんでした。
<それでも地方は>
まだまだ、のんびりしています。そもそも地方から東京に行くとなると、多くの人が尻込みします。(せっかくのチャンスなのに、生かせない人が大半です。)何事もやってみないと判りません。やらないと、失敗しないと人生の経験という財産の貯金が出来なくなります。
私の子供がまだ小さい時に、良く自宅を空けました。会社に必要とされれば行かざるを得ない。働き方改革など、全く存在もしていない時代です。仕事か、家庭かの選択になります。当時、激動の業界再編成のなかにあって、短期で多くの事業案件に携われた事はありがたかったのです。(短期間で能力のアップデートが出来ます。)結局、チャレンジするのは同じメンバーばかりです。体を壊して入院する同僚。その他、悲惨な例を数々見聞きしています。多くの有能な同僚が会社を去って行きました。
<何とか生き残れました。>
このままでは、家庭が維持できなくなる。さらには、会社に危機感がないこと。私の意見具申が全く通らない事に、いよいよ腹をくくる事になります。最終的に二人の課長が、一ヶ月説得にかかりましたが、私の心は固まっていました。 「辞めます。」自己都合退職です。
<その後、地元で講師など。。>
ご縁は大切です。地元の大学校でしばらく、講師業をさせていただける事になりました。その間に、まともな人間らしい生活を送る事が出来るようになります。子供を連れてようやく、旅行が出来るようになります。自由に生きると選択した瞬間から、新しい道が開けます。
<厚労省と文部科学省>
このバランスが、日本では抜群に悪い。昔の厚生省は社会人教育に重きを置いており、議員さんも動いていました。様々な法律を作って職業教育の充実の力をいれていました。一方の文部科学省は厚生省とはうまく連携が取れていたとは思えません。
仕事に就くには、まず手に職を身につけないと食べていけない。これは、私の世代の常識です。難易度の高い国家資格を取得する。常に上を目指すは辺り前だったのです。(その意味で基礎学力はとても重要です。)
文部科学省の方針を見ると、迷走ぶりが見て取れます。教科書をみれば抽象化された、コンパクトな記述が多く具体的に、テクノロジーを学ぶ機会などないのです。その基礎学問が何処で使えるのか?というビジョンが全く描かれていない。多くの生徒さんは消化不良のまま卒業する事になります。
<昔は。。>
産業からの強い要請があって、文部省も動いていましたが、近年、文部科学省の方針を見ると、日本の工業会の現状を全く理解していない政策を打つようになっています。実際に現場を知っている人がいないのでしょう。文部科学省と大学の関係は密です。文部科学省の官僚が大学の教授として出向する事も珍しくありません。ただ、偏った大学運営は、新しい、新鋭の意欲を持った人達を閉め出す事にもなりかねないのです。もっと若人にチャンスをあげてください。
<人生は死に物狂い。。>
最終的には、放送大学で大学の学位を取得して、通信の教員課程の大学で、高等学校の数学の免許を取得する事になります。(地元の教育委員会では、放送大学で取得した数学の4科目の専門単位は結局認められず、単位の取得し直しになります。)当時は余裕も無かったので、日中は専門学校で講師業、その後塾などで教える。夜中過ぎに、通信教育の学習をするとうハードな時期がありました。まだ若かったので体が動きました。それでも、社会人への学びの場に、文部科学省も力を入れていた時代です。現在は、ほぼ大学全入時代です。どこの大学にいったかというのは、意味を持たなくなっています。(最終的には、自分が何をしたいか、何を学びたいかが明確な人だけが、成果を上げる事が出来るのです。目標のない学びほど辛い事はないでしょう。)
<気がつけば。。>
15年ほど、教育業界に勤めています。元々が工学系の技術者です。出来れば実験や、思考実験、仮説、自然観察を子供達には要求しています。(一次資料の収集も)手を使った工作や、実験器具を使うような体を使う事は、仮説を検証する上で欠かせません。高等学校でも一番削られているコマになります。(詰め込んだ、机上の写経など意味が無いと考えます。)
<やはり、基礎は大事>
そういった、人材を育成するためには、実体験が不可欠です。教科書だけ教えているのは駄目です。教科書を研究して、自分で教科書を作る位は辺り前だと考えています。常に新しい視点に立てる気づきのある人でないと、教える事は難しいと感じています。
<国民への基礎教育は残して欲しい>
大学が乱立しすぎました。大切なのは中身です。ただ、この国は学位がないと、稼げません。既得権益と化したシステムが構築されてしまっています。社会制度がある以上、決まりがある以上、それに従わざるを得ないです。
<100年に一度の変化>
が、既に起きています。多くの人が職を失い、その労働力を他の市場に移す必要があります。その為の支援を、早急に立ち上げるべきでしょう。多くの起業家は、youtubeであったり、アプリ(含む生成AI)であったりとか、様々なツールを活用されておられるようですが、正しい情報、危険を知らせるのは国の役目でしょう。教育は国家百年の計です。 老若男女も皆が学習する時代です。せめて支援位してください。待った無しです。(学ぶチャンスを潰さないで欲しいのです。)